2008年02月15日

やさしさ

雪が降っている。一晩で30cm積もり、早朝4時には市の除雪車が家の前をさらえていった。おかげで朝子供をスクールバス待合所のところまで送るのに往生しなくて済んだ。有り難い。。
ただし、家の前の広大なスペースと屋根雪が落ちた山をどけて車を発掘する仕事は必須。除雪車が玄関先に寄せていった重い雪の山のバリケードも取り除かなくてはいけない。ほんと、この程度の雪で済んでよかった。(まだどうなるかわからないけれど、、)日中の気温の上昇と日光でかなり溶けてくれたのと、せっせとからだを動かしたおかげで明日同じだけ積もっても困らないような気がするけれどどうだろう?

さて実は車を畑に落としてしまった。。
1週間程前、早朝に降ったみぞれが家の前から下る急な坂道をつるつるのスケートリンクのように仕上げてくれていた。
凍結する朝はその道をとおってはイケナイ。
日陰で急勾配、湿気があって、ガードレールが無い。
重〜い4WDのステップワゴンは氷上滑る鉄の箱と化して、ハンドルもエンジンブレーキも受け付けず滑らかに続く堤防のような法面をゆっくりと転がり落ちた。。一回転半。冬期で何も植えていないふかふかの畑に助けられ怪我は全くなし。
子供達はチャイルドシートごとぶらぶらぶら下がっていた。
30分でジャフが来てユニックで上手に上げてくれた。スバラシイプロの仕事。重機使い。自走出来たのでそのまま整備工場へ。。。

その数日後、今度は軽自動車が雪の下にあったぬかるみに沈んで動けなくなった。事故ではないけれど、4〜500キロもある鉄の塊は足掻けば足掻く程泥に沈んでゆく。。
居合わせた常連様にまで助けていただくも、微動だにせず。。
『大人の男数人で持ち上げて脱出させるしかないか??』と話しているとお母さん『ああ、今用事で居ないけどうちのお父さんなら一人で上げてくれるから、明日まで待って』と。
この状態の車を一人で??どうやるのかと不思議に思いながらも、お母さんがあまりに自信たっぷり、信頼たっぷりに言うので間違い無いだろう。
その日の夕刻遅くお父さんから電話『朝は忙しいから後で行くから』
夜9時半。しんしんと細かい雪が降る中、でっかいかけや(木槌)とでっかい木杭、ロープと引き上げる道具(名前を知らない)を携えてお父さん登場。

てきぱきと畦に杭を打ちワイヤーとその巻き上げ機とロープをセットして車の後輪の車軸に結わえるとギコギコ巻き上げ機を動かすと何と!ジリジリと動く!!!
、、が車の重さに耐えられず相当深く打ち込まれた杭も抜けてしまった、、

めげる事無く、今度は20m離れた大きな木にロープを継いでいって結わえて再チャレンジ。
お父さんが巻き上げ機を動かしてゆくと嘘みたいに素直に車が上がってゆく、、、
小1時間。じっくり落ち着いてダメでも対策をすぐに立ててテキパキと動くその姿はほんとうに頼もしい。160センチでやせ形のほんとうに小柄な70歳のお父さんはほんとうに大きなお父さんだ。。

そしてとうとう一人で上げてしまった。
杭を打ち込む時に少し手伝ったものの、重い木槌を上手く扱えず要領を得ない、、ただ懐中電灯をもってつっ立てる木偶の棒のような僕が居た。

聞けば、軽トラを落としたり、トラクターを落としたりした経験から一人で対処できる術を身につけたという。『人に頼ればいいんだろうけどなぁ、、』と言いながらも、何ごとにもじっくり立ち向かうその姿にはほんとうに学ぶ所が大きい。


そして昨日。事故以来町内の細い道も全て徐行でそろそろと運転していたにも関わらず、急カーブで道幅の狭い場所でタイヤを取られてガードレールに擦ってしまった、、、、
ステップワゴンは修理より買い替えた方が安くなるというくらいの大破、軽自動車の凹みも2カ所。お金がいくらあっても足りない。。。


『何ごとも経験』『授業料だと思って』なんて言われつつも、どんよりと凹むここ最近。怪我が無い事はほんとうに幸い。滑った時の対処法を色々な人が教えてくれる。さっきもそろそろ走りながら復習して現場練習。

もともと車の運転は苦手。事故の経験もあるけれど、この町内での自然相手の事故はどうも後口が悪く無い。変な言い方だけれど、、
お父さんが教えてくれた様に、自己責任がとっても明確で、だれをもなにをも怨めないという状況、人間のエゴで動かす「機械」のひとつである「車」。

そんな当たり前だけどいつのまにか生活に密着し過ぎて感情の一部みたいになっていた事。自然がまずありき、道路を整備しない行政を恨んだり、他のドライバーや道路条件を恨むのは筋違いであるという、
当たり前の事を教わった。
それも自然のやさしさ、お父さんのやさしさ、底なしの懐のひろさだろう。

、、はぁ、、情けない。。
でも子供が無事で良かった。。。

保育園で一生懸命「くるまがごろーんっておちてん」とせんせいやおともだちに宣伝してくれている。
怖い思いをさせて申し訳なかった。。。

posted by 農夫見習いパパ at 15:41| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月07日

民具

玄関の戸は3重になっている。外屋といい、外気を空間で調整する賢い仕組みだ。
昔読んだ「注文の多い料理店」を思い出す。そういえば、神音カフェも今の御時世にしては「注文が多い」ような気がする(苦笑)。。

ところが外側のアルミ格子戸と部屋の戸の間の、上がり框の戸が無かった。引っ越し当時(去年の今頃)はじいちゃんばあちゃんが住んでいたままの状態で、入り口の部屋(多分昔は土間だった)の戸は気密性のいいアルミサッシに変えられていた。が、お店にするにはあまりにも不粋だという事で、サッシを外して他の部屋の木製の戸を代わりに当てた。

アルミ戸を4枚減らして住居スペースの分をあてがっても厨房スペースなどカフェ用の間取りにするにはかえって都合が良かったし、雰囲気がぐっとよくなった。
が、その上がり框の前の戸は他の戸よりも丈が長く、代用がきかない。。家の中や納屋を探しても見当たらない、、
ガラスが割れたり痛んだくらいで昔の人は家の部品を処分したりはしない。直せば使えるのだし、どこかに在るはずだとは思っていたが、1年越しでとうとう探し当てる事が出来た。

なんと、米蔵の奥。

米蔵は現在もお父さんの米が入っている。お父さんはこまめに空気を入れ替えながらも米を出したり漬け物桶を前室に運び込んだりいつも出入りしているので気が付きそうなものだが、灯台元暗し。
実際蔵に灯りがないのでお父さんはヘッドライトをつけては入っている。
この前何かの用事でお母さんと蔵に入った時に発見。

それで、お父さんと話しながら戸を取り出していると、これも引っ越し当時頑張って探していて結局見つからず自分で製作するに至ってしまった『炉縁(床縁)』いわゆる、いろりの枠も2種類発見!

何故2種類か?というと、ひとつはこたつ用の格子の付いた台が固定出来る作りになったものと、通常のシンプルな枠と。

他にも昔外屋を改装した時に外したと思われる窓枠などまさに
『お宝蔵出し』状態。
只眠らせて朽ちさせてゆくよりはと、木桶等他にも使えそうなものも出しておいた。
お母さん曰く、「使わない戸は、マメや麦や米なんかの手作業で散らばる作業の脱穀の時などに『囲い』として使ってた」そうだ。
米蔵に置いてあったのもうなずける。

こうしたいわゆる民具というものは昔ながらの職人の確かな技と、長く使えるという耐久性を備えていて、戸大工さんの仕事としても今ではとても高価になってしまうような丁寧なつくりのモノが多い。

綺麗に拭いて暫く使えばまた艶を取り戻して実用によし、気持ちを満たしてくれてなお心地よい。



モノの価値の定義は様々だろうと思うが、
『用の美』という、使われるもの、使い続けられるもの、すなわち長期的に見てシンプルで使い易く人に馴染む。そこに美しさが在るというのは確かだろう。

目の前から「使いにくい」という偏見とステレオタイプと経済の旨い罠(現代的、経済的とかなんとかいう文言)で次々とつまらない工業製品にとって変わられ姿をけしてゆく『民具』たち、、

また骨董ばかりに価値があるのではない。「お宝鑑定団」や「劇的ビフオアアフター」「お宅訪問」、そして伝統工芸なる中途半端な芸術主義が生活の中の工芸を追放し、価値を知らない中古品業者やオーダーメイドのフリをした企画商品を見抜けない消費者によって微妙で貴重な立ち位置だった『場所と人に反応する有機的な価値観』の総体が切り捨てられてしまったのかもしれない。

「そのひと、その場所、その暮らし方に用を足す」民具。
モノの価値は限り無く個別の生活に密着しているにも関わらず、
判断と感性を鈍らせる情報と経済にまんまと毒されて、それでも人と違う不安に弱い日本人は現代のジャンク企画品が大好きである。

奇しくもカード会社のCMのキャッチフレーズに「その価値、プライスレス」なんてのがあった。プライスレスに囲まれる暮らしは最上だろう。



木桶の竹製の『たが』を絞める職人、戸大工さんに、大工さん、左官屋さんに、金物屋。。。これらの職業のそのままの復興は無理にせよ、現代的な感性をもちつつ、能登の昔ながらの暮らしを伝える民具をリペアして生活に戻してゆくような職人で商人さん(もしくは技術の高い作家さん)がこの地区に入ってくれれば、その価値を朽ちさせることなく伝えられるのになぁ、、と心から思う。
posted by 農夫見習いパパ at 09:43| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月04日

我の緩慢なる崩壊と再生

とても長い一日だった。
しかし、もっと長くてもいいと思えた。
集まった方々は年齢も属する場所も実に様々、「神音ゼミ」と銘うって『ヒトゴトヲジブンゴトニ』をテーマにそれぞれ思いつくままに話し、問いかけ、交流した。
主催の川口氏がパーソナリティとなり、まるでラジヲの進行のように合間に素晴らしい音楽を挿みながらの、とても滑らかで心地よい時間だった。

僕といえば22名の食事と絶えまなくコーヒーを抽出する事に完全に手が塞がっていたにも関わらず、この場所の、この家の、この屋根の下にいるもはやかりそめの家族と化した集団の一部として全てを共有出来たような錯角を覚えていた。

残念ながら、個人個人と向き合ってゆっくりお話することはさすがに出来なかったけれど、また機会があるはずだ。


とてもハイセンスとは言えない『我々プロジェクト(ワレワレプロジェクト)』というネーミングのこの活動のスタート地点であり、一部として開催された今回のゼミだが、『我』がありき、そして『我々』という言葉には確かに真直ぐな指向性がある。

インターネットの普及が爆発的に進み、プライベートも仕事も『個』と『集合体』との線引きが曖昧になる程、現代の生活に浸透してきた。情報量は膨大になり、あらゆる立ち場の人間が対等に存在できる電脳空間が生まれた。
それ自体悪い事ではないと思うし、予想を上回るだろう可能性の拡大を感じずにいられない。

、、が、それらがあらゆるカタチをとって現実の世界に浸透し侵食し、破壊し再構築している中で育ってきた経済と流通という名の魔物が、ショッピングモールやワイドショーを例にあげるまでもなく、明らかに『我』の崩壊を助長もしてもいる。


『ワレ』


日本の未来、
ワタシの未来、
そして、こどもたちの未来。

そこかしこに在る全ての現実は自分に集約してくる。
今を全力で生きられない人間は、、むなしい。。


コントロールを失ったものは立ち返れ、
自分が立っているその場所は、どこだろうとかまわない。
『どう思い、どう感じたか』
表現する方法は、どうだろうとかまわない。
直接的に関わっている社会に対して、自分はどういう距離を保つのか?

それらはまるで共同体のようなフリをして巻き込んでくる。
しかし、間違えてはいけない。
僕と、あなたと、会社と、未来はすべて別であり、
そのつど都合良く乗り換えられるモノでは無い。

他人事に一喜一憂している暇があれば、今すぐその距離を計測せよ。
驚く程隣接していて、嘲笑われているのは自分だと気がつくだろう。


『我』の再構築は、『生きる力』を取り戻す事。
そして『我』の集合体である『我々』は、人間がいきいきと暮らす社会を形成する。
自体が迷える人格のような魔性を抱えて脈動している地域や会社組織や都市を構成しているのは他ならぬ自分。
であれば、『我』を再構築してゆくその過程自体が自立的であり、個々が尊重される社会へとつながってゆく。


そう考えると『我々』を取り戻すプロジェクト。
とてもいい。
posted by 農夫見習いパパ at 01:43| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月27日

コーヒーが植物の種子である事を意識し始めたのはいつ頃だったか、、
それまではグルメコーヒースとかペシャルティコーヒーと呼ばれるもの、はたまたこだわりの熟成オールドコーヒー(冷暗所でじっくりと枯らしていったり、生産地で水分調整されたものをわざわざ陰干しにしたり。。)それから抽出の技術うんぬん。。。そういう興味が勝っていた気がする。

もちろん、そういう情報を得て味創りに生かしてゆくのは当然の姿勢だと思うが、以前程「コーヒー道」のような日本の自家焙煎&喫茶店界隈でもてはやされた「おっさん趣味」の癖に不透明で無根拠な『珈琲うんちく』に興味が無くなっていった。


コーヒーが農作物であり、しかも輸入食材であると言う事。
現にコロンビアだろうとブラジルだろうと生産地では収穫>乾燥後はまずはすみやかに焙煎>カッピング(香味検査)をするし、お米でいう「古米」を例にあげるのは違うかもしれないけれど、豊かで複雑な
香りは当年ものに勝るものは無いような気がする。

輸送にあたっても殆どはコストの低い(とはいえどんどん高騰している現状だが)船便で一ヵ月以上かけて運ばれる。当然、小麦や大豆等のように虫が湧けば燻蒸で薬がかけられる。
一部では高品質で希少性のある商品など冷蔵コンテナで薬無しで、また高価になるが空輸されるものもある。


お米生産と販売の間近に突入して感じ取った感覚から、天候や気象条件にどうしても左右されるのが農作物であるという当たり前の認識や、刈り入れの時期や方法、乾燥、その後の管理など様々な場面で落ち度があると品質を低下させてしまうという「なまもの」としての難しさを実感する事が出来た。

新米の時期はどのお米も香りが立って美味しいという事、品種によってはすこし寝かして旨味がでてくるもの(能登ヒカリは新米、コシヒカリは今頃〜等)、、しかし、年を越して急激に食味が低下するもの、梅雨時から気温の上昇と湿度で悪くなるもの、古米の時期まで殆ど味を落とさない上質なもの、、と経時変化も見逃せない。


植物種子として生きている(発芽可能)である状態では、種子内に成長>発芽に必要な多くの有機性分が含まれている上に、水分量も程よく調整されてくる。
良い土壌でミネラルをしっかり貯えて育ち、完熟をしっかり待ち、種子内の成分が偏らず成熟し、焙煎という加工を加えた時にそれらの成分が上手く生かされる、、そんなイメージ。

焙煎とは焼き焦がす作業のように思われる事があるがそうではなく、そのものがもつ水分を上手くコントロールしながら加熱し内面外面双方の化学変化をもたらして旨みを引き出すことである。野菜の無水調理やカレーを仕込む時の玉葱炒め、洋菓子を創る際の焦がしバターやカラメルも実際に「焦がし」ては旨みもへっちょくれも無い。そのギリギリの所を追求する『調理』である事にも通じる所がある。
上質の焙煎に向かうには種子内の水分の動きを意識しなければならない。

枯れた方が味が整理され(焙煎も容易になる)るという事もいわれ、一理あるけれど、一般に大量に流通し、口にしている味(受動的味覚)、大手企業、外国企業含めての工業生産的味覚がどうしても基準になってしまうという「味の記憶」と好みの問題とからめるともう語ることは不可能に近い。


『焙煎』という加工にあたって、原材料の質が高い事は大前提だけれど、野菜と同等に「農作物」である以上、その安全性や生育の方向性と履歴、流通の透明性が最重要であるし、品の状態を知り、適した焙煎でその持ち味を生かす事が生産者や農作物の恵みへの感謝だと思うようになった。





『かのんブレンド』100g/450円
神音カフェのメインブレンド。程よいコク(苦味・酸味・甘み)とあかるい後口、余韻のある香りを目指しています。
おとなしく飲みやすいけれど、いろいろな表情がある。ブラジル+コロンビア+モカというブレンドの王道に挑戦しています。


【ブラジルイーストコ】〜ブラジルの標準的な美味しさを表現した生豆ブレンド(お米で言う標準米、魚沼産コシヒカリなどのように産地のみ限定)
【アンデス・マラヴィーヤ】〜コロンビア産地指定、ティピカ(コ−ヒ−原種)100%を伝統農法で育てています。
【モカ・アビシニア】〜エチオピア産のモカ。ホマ−農協の特別ロットで天日乾燥処理。

posted by 農夫見習いパパ at 10:42| Comment(2) | カフェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月18日

貸し切りのお知らせ



2月2日(土)
は終日貸し切りとなります。
御迷惑をおかけ致しますが宜しくお願い申し上げます。



店主



ローカルですが、北國新聞の記事で御覧いただいた方もおられるかもしれません。
私も外部から羽咋市への移住者ですが、移住という事は難しいようで簡単、簡単なようで難しい、、(もしかしたら『難しい』ほうがまさっているかもしれませんね、、)そして『地域』に入ってゆくにはその土地の現実の生活とサポート側の行政の温度差や情報差があることは否めません。

そこで能登島では「移住者ネットワーク」という組織をこれまた移住家族である藤田さん御一家が立ち上げられました。

『移住支援により定着する世帯を増やし、地域を活性化する』

言葉にすると簡単ですが、現実は受入れたい側も移住したい側も不安が一杯で、情報不足です。。


まだ進みだしてやっと1年の神音カフェも直売所「神子の里」や菅池の町会活性を含んで『先進』しているという事で全国各地から視察の申し入れを受けてきました。もちろん同じ能登で、同じ問題に直面している所もたくさんあります。

2月2日はこの藤田一家を囲んで行政サイドの方、雑誌関係の方、様々な活動を行う経営者さんを含め『移住支援サポート』をテーマに『どろくさくかっこいい』これからの暮らしの豊かさを模索する勉強会(ゼミ)を開きます。

主催は神音カフェではありませんので窓口を開く事は叶いませんが、いずれにせよ長期的かつ「豊かで楽しい」暮らし「人間が心地よく生きる」環境「自然との共存」という普遍的なテーマに関心がある方はお気軽に店主までお声をおかけ下さい。


羽咋市民、菅池町民としても「空き農家、農地情報バンク制度」の有効活用もどんどん推進したいので、およばずながら頑張りたいと思っております。





posted by 農夫見習いパパ at 17:26| Comment(0) | 営業のお知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月13日

ゆき

金沢に住んでいた約10年程の間、雪というもののイメージはぐしゃぐしゃで汚くて、融雪装置がめくらめっぽうに飛沫をまき散らし、そこをマナーの悪い車が吹き飛ばしながら走ってゆく。。
雪の兼六園や犀川や医王山や白山麓の遠景からの美しさや、流れゆく雲間の色や光の美しさには確かに心奪われる事が多々あったけれど、目の前に散らかる邪魔者でしかない雪には美しさは無かった。

山里にしんしんと降っているゆきは、、おそろしい程、うつくしい。
手にとっても、たとえ泥ごとスコップでめくろうとも、
ひとたび地に触れたらもう雪の勝ち。
勝ち誇ったものの堂々とした美しさ、儚く消えても潔い美しさ。

忘れ去った景色を心の奥底から呼び起こし、只冷え込むばかりの冬の力とは別の、なにかやさしい佇まいさえ見せる。




この冬は前の冬ほど穏やかではないだろうとの予測から、雪囲いも心の準備も防寒対策もしっかり備えている。けれど、12月に目立って積もらなかった事や、農作業の感を伝える地区の人々からは「今年も穏やかだろうねぇ、、」との声も。

でも降らない、積もらないというのも農作物の生育に害になる場合もある。
雪に埋もれる事で氷点下を防ぎ、土壌菌もわずかに活性する。
が、雪が無いと水不足の心配だけで無くて春先からの野菜全般の管理に響いてくるそうだ。。
とはいえ、10年前20年前、、もっと昔に比べても雪はどんどん減ってきているらしい。野菜の種も人の知恵もずうっと継がれてきたた中で、緩やかに、すこしづつ、自然と共に歩んできた。

ゆきのうつくしさはわすれてはいけない。

紅葉の美しさは、わざわざ名所で楽しむものではない。

新緑の美しさに目を奪われるばかりではなく、
そこに今年は無い色があるはず。それを見のがしてはいけない。

自然は悲鳴を上げている訳では無い。

涙を忘れてからだが泣いているのは人間のほうだ。


やさしく降り積もり、ときに、激しく吹雪き轟き、どさりとおもさをくわえて語りかける。


自然は厳しくなんかない。

歓びと力を得る術を忘れたのは人間のほうだ。



まちなかの融雪装置に人の業をみる。
わずか1日町の商業が動かない事を恐れる余り、ヒステリックなまでに数年越しの巨費を税金より引っ張り出し、その場しのぎの癖に負荷ばかり残す愚かしい事業を後押しする。
冬ごもりして困るのも人間がけれど、悪あがきしてあちこちを傷つけるのも人間。

、、そうして汚された雪も、新しく空から落ちる時は等しく美しい。
posted by 農夫見習いパパ at 23:20| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月01日

としのはじめに

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あけましておめでとうございます


昨年3月にオープン致しました神音カフェもおかげさまで年を越す事が出来ました。

遠方から足繁くこの神子原地区へお越し頂き、お引き立て頂きましたお客様にも、遠近に関わらずわざわざ訪ねて御来店いただきましたお客様にも、ほんとうに感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました!

まだ開業して1年も経っていないという事にふと驚く店主ですが、いたらないところばかりでお客様に御迷惑をおかけしていないか・・と不安で頭も体もいっぱいいっぱい。。およばずながら、本年はじっくりと課題に取り組みお客様にとってより心地よい時間を過ごしていただけますような空間とサービスを創造してゆきたいと思います。


なお、新年は1月の7日より通常の営業を再開いたします。8日は火曜日にて定休日です。御来店心よりお待ちしております♪


追伸:寒波に見舞われここ菅池町はぐっと冷え込んでいます。。各地でちらついた雪もここではまだ(すでに?)残っており、雪だるまが門松代わりに立っております!
これからどんどん雪が降り易い&積もり易い&のこり易い日々に向かってゆきますので御来店御予定のお客様はくれぐれも道中お気をつけ下さい。特に神音カフェのある菅池町の奥の方は坂道が多く、道も狭く、田んぼや畑との境もわかりにくくなります。さらに不安もありますので、無理にお越しくださらぬようお願い申し上げますm(__)m。


2008年 元旦

神音カフェ

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posted by 農夫見習いパパ at 10:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月21日

何故この場所に辿り着いたのか?冬の雷鳴を聞きながら思い出してみる。

「モラトリアム」なんて言葉、最近あまり耳にしないけれど、結婚して子供を授かっていよいよ本当の時計の針が動きだした気がする。
それはもう2度と戻らない、一方にしか進まない針。
ずううっとまっていた気がする。
心地よい緊張感が漂う。
子供が溢れるエネルギーを与えてくれる。
そして方向がはっきりした事がなによりの救いである。

永遠かと思われるような青春の悶々とした苦しみ、、いや、渾沌の中で、ルーツの薄い僕の生い立ちが抱え続けた闇を、人生の執行猶予から開放してくれた。


幼い頃父親が、(冗談か本気かわからないが、、)『将来なにになりたいかなんかわからんだろう?トンガに夏休みの間住んでみるのもいいぞ』とか『帰農』って言葉がある。日本人は農が家であって、そこにかえってゆくのはとても自然な事だよ。宮澤賢二も言ってるだろ?』なんて言ってたの覚えている。せいぜい小学生の頃だ。

六男(祖父)の次男である父親には継ぐべきものはなにもなかったし、その長男(僕)への人生の選択についても全くといっていいほど「放任」だった。それが苦しくもあったのだろうが、そうして話しの節々に顕われていた「自然」への志向が今頃になって僕に徐々に効いてきたのかも知れない。

よく岐阜の深い山の渓流釣に伴われてキャンプに行ったものだ。子供心にはわからなかったが、毎年毎年大自然のまっ直中に連れ出され、しかも親が釣をしている間ほおっておかれた。
今、父親は本業の傍ら鮎つりを通じての渓流保全〜しいては河口から海へと続く自然環境全体を意識した特定非営利法人を運営している。


中学生の頃だろうか?それとも美術の道に進み始めた高校生の頃かも知れない。いや、、もしかしたら大学に入ってからか、脳裏に焼き付いている事がある。
テレビか、授業か忘れたけれど、日本の農業に対して警鐘を鳴らすNHKの番組を観て、お米生産者の方が『人生が80年としても、私は50歳。今まで30回程お米を収穫したが、あと20回程かと思えば毎回が真剣勝負だ。いいものを作る、それは今目の前にある作業を如何に最善で行ってゆくかだ』というような発言をされていた。

お勤め人、お役人、毎月生活出来るだけのお金が振り込まれるサラリーマンはしかし、「会社」という不安定要素に人生を預けるという事でも在る。
父親自体が自営業であったし、農業が「自然」という不安定要素を相手にしながらもあくまで『腕ひとつ』でいきてゆくという『基盤が自分の側にある』と言う事がとてつもなく大きく重要な気がしていた。

もちろん会社に勤める、公職に勤める事にもとても重要かつ強い意思と取り組みが必要な事、社会性と共に個々の責任意識が大切である事は言うまでもないし、勤めていようともあくまで基盤は自分側にある事に違いはない。

が、先のいわば「擦り込み」都も言えそうな『自然回帰/日本回帰』的素地にあった少年時代の僕は、
20年後まんまと自然に向かっていった。

そして、父親が望んで、得られなかった『家族』という形を追い求めている。
posted by 農夫見習いパパ at 02:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月11日

冬支度

ほどなく雪が積もりはじめるであろう。
ここ数日は暖かく過ごし易かったのもあって、定休日を使って遅れていた冬支度を仕上げた。「雪囲い」である。『仕上げた』なんてまるで自分1人でやったみたいに聞こえるけど、実際はこの村のお父さんが8割かた進めてくださった。。去年の冬に切り出した直線でしっかりした竹をじっくり乾かして、アテ(能登ヒバ)の丸太を柱にして藁縄で結わえてゆく。葦簾を立て掛け、もう少し軽く細い竹で押さえる。水気が溜まり、重さもかかる下の方にはこもをあてて補強する。

倉から出してきた数年前にこのうちのおじいちゃんが作った葦簾やこもは横糸に白いナイロンのヒモが使ってあるが、それが意外に風化してもろく今年でもう使えないだろうが、葦の具合、なにより、丁寧で厚手、目の揃った「こも」は素晴らしく、横糸さえ丈夫ならばまだ数年使えただろう。。
冬場の3ヵ月ちょっとの事とはいえ、家の外壁や窓を守る意味で雪囲いは必須だ。この家が空家の頃はそれこそ波トタンで囲ってあったけれど、人が住んでいる家でそれではまるで廃屋みたいに見えてしまう。。丈夫ではあるだろうけれど。。
それで、面積の大きい家屋背面は横板10段はめて作る「雪囲い」を村の大工さんにお願いした。カフェであり、お店であるのでお客様の目に触れる前面は昔ながらのやりかたにこだわっておとうさんに御協力賜った。

素晴らしい出来。思わず眺めてしまううつくしさ。
お母さんの記憶もあやふやな6〜70年前の出来事。この家の構造となる黒々とした母屋の柱と梁を囲う「外屋(ぎや)」を補強構造にして立て直された。茅葺きを瓦に変え、外壁はその後何年かの内にトタンやセメントで補強された。
それで、この家の外観はその年代の築年数と共通する「普通の民家」。中に入って初めてその構造の古さに気がつく。
が、こうして自然素材で外壁補強すると古くからある価値がわかりやすくそこに顕われる。この菅池町で一世紀以上も変わらない眺めがそこにあり、僕もそこの一部でいられる。ほんとうに、この家は、素晴らしい。


この前の雪で急いでスタッドレスタイヤには変えたけれど、
今年の雪は激しいようだ。。ホンダの小型除雪機の購入を真面目に検討している。
神音カフェに御来店されるお客様にもたびたび『冬は(雪は)どうするのですか?』と尋ねられる。『酷い雪でも辿り着かれた方には必ず暖かいコーヒーをお出ししますよ。安心してください。ここは家で、私はここに住んでいますから』と冗談まじりにお答えしているが、どうなることやら、、


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話は変わって御案内です、この神音カフェのお客様の一人で空間プロデューサーでもある横井幹雄さんの木工作品を展示販売始めます。自然にある美しさをそのまま生かしつつ、洗練されたバランスを空間に溶け込ませるその感性には本当に新鮮で心地よい驚きがあります。

以前からお取り扱いさせていただいている白山市の作家かんさんのみつろうそくに新作『芳香みつろうそく』と『2色らせんみつろうそく』『みつろうクリーム』が入荷いたしました。ひとつひとつに優しさが溢れる素晴らしい作品であり、深い癒しの日常品としてお勧めですよ。

そのかんさんは手づくり石鹸も出品されています。自然原料をとことん追求し、ここちよさと優しさを実現しています。

重複しますが、この地区にお住まいの谷口さんも女性ならではの感性で手づくり石鹸を出品されております。この方のせっけんもナチュラルで心地よい使用感を追求し、米ぬかやゴマという和風の素材にも挑戦しておられます。谷口さんは小さいお試しサイズも出品しておられます。  


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          【営業のお知らせ】

年末は12月28日まで営業し、1月は7日から営業予定です。
なお、雪の具合が軽ければ、市の除雪が入るので神音カフェまでの道は走れます。が、不安でしたら一度お電話下さい。
0767ー26ー1128


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posted by 農夫見習いパパ at 21:25| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月18日

すこしづつ

suirenkaeru.jpg

昔から台風が近づく時の気圧の揺れを体感できる風が好きだ。
窓をガタガタいわせ、いろんな湿った匂いを運んでくる。
小学校で台風の為に下校出来ず、待機していたあの独特の不安感。
薄暗い灰色のそらと、ぐるぐるかわる雲の動き。

児童文学「僕の真っ赤な丸木船」や「眠れなくなる本」なんかの、閉塞的でありながらどうしようもないくらい現実的な世界。

雷が鳴る時も、先日の地震の時も感じた事だけど、
この神音カフェの建物の重厚な母屋の骨組みは常に安心感を与えてくれる。崩れる時は崩れるし、火事ならば燃えてしまうだろうが、アパートに暮らしていた時の不安感とは比べ物にならない。
山が崩れるのを見ながら逃げまどうのと、実際足下が崩れたり、家の下敷きになる恐ろしさの緊急性の違いかもしれないけれど。。

稔りの田んぼを眺めながら、自然のチカラとそのあたたかさを感じている。


直売所もようやく軌道らしきものにのり、手放しではないにせよ地元の力が集まってまとまりつつある。運営にあたる(株)神子の里は愚直とも言われかねない程「地産地消」を実現している。

神音カフェも含めて『循環型』となれるにはまだまだ年数が必要だけれど、山の恵みをどんどん活用することは里山保全にも繋がる。
そうして日本らしい農耕文化の美しさを伝承していきたい。


ところで今さらと言われるかもしれないけれど、
「カフェっていいなぁ。。」と(照笑w
神子の里に設けたカフェカウンターとベンチでは、お買い物ついでのお客様と生産者、加工者、販売者が同じコーヒーを飲みながら談笑する。つくづく、この場所にコーヒーを持って来れて良かった。。と思う。

菅池町神音カフェ本店でもお客様同士のコミュニケーションや、お連れ様とくつろがれる姿を目にしてはいっそう「いいおもてなし」を目指そう!と燃え上がらせてくれるw


蒸し暑い日、寒い日、安定しないけど、自然は劇的に秋に向かっている。写真は一月も前だけど神音カフェ入り口の睡蓮鉢にいらした雨蛙。睡蓮鉢には黒めだか(日本めだか)やゲンゴロウ(勝手に住みついた)も同居。金沢からついてきたヤゴ達は今頃とんぼになって空を飛んでいるだろう。ちいさなビオトープ。
posted by 農夫見習いパパ at 02:03| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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