2011年05月20日

海ノ空

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石丸 暁

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石丸 絵利子



かほく市二ツ屋の陶工房『海ノ空』さんのうつわたち。

以前に地元情報誌『クラビズム』さんに新店としてご一緒に紹介していただいたのをきっかけに親しくさせていただいている石丸夫妻による作品を、念願叶って神音カフェにて展示、販売させていただけることになった。

ギャラリの名前『海ノ空』からして、僕個人の感覚、岐阜県から移住した理由、能登の魅力の一大要素を表していて、お二人にお会いしてお話する度に、大変多くの共感を覚える。
世代も同じ。感じる事も近い。
ここへ神音を開いたおかげで出会えたといっても過言では無く、本当に嬉しい出会い。


うつわを上手にゆったりと展示させていただけるスペースが乏しいのが大変悔やまれるが、
すでに店内のケーキのお皿や、ミルクピッチャー等でお客様にお使いいただいているので、
その使用感の心地よさは推し量っていただけると思われる。

是非お手にとって間近でごご覧下さい。
posted by 農夫見習いパパ at 12:48| Comment(1) | カフェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

神音の役割

僕のコーヒーの味づくりの最大のテーマは

「あかるく豊かなインパクトと舌や口に残らない綺麗なあと味、やわらかな陶酔へ繋がるようなさりげなくも深い印象」

焙煎を極めるなんて程遠く、修行も半ば、毎日試行錯誤だけれども、農作物としてのコーヒーの持ち味を出来る限り引き出して、抽出からお客様の目の前の一杯になるまで気を抜かない。
当たり前のことかも知れないけれど、すごく難しい。。


専門店はいろいろあれど、神音は「農家カフェ」としての役割を極めたい。
自家焙煎コーヒー豆の販売、それ自体一筋縄では行かないし、喫茶店として抽出を極めることも然り。
だけど、お客様のイメージすることはまさに十人十色。
「カフェ(kaffee)」と銘打ち、菜園とパンやケーキに取り組むのはその「お客様の幅」に添いたいから。

農家レストラン、パン屋さん、ケーキ屋さん、、はたまた野菜の直販。
全てを充実させお応え出来ればどんなにかいいだろうとは思う反面、
「自分達の気持ちを丁寧にこめられる量」
「作り置きしない、素材の鮮度を味わっていただく」
そんな「ものつくり」としての想いはやはり強く、量産や従業員を入れての事業の拡大は、気持ち的にも経営能力的(こっちのほうが大きい)にもかなわない。。。


全国の旅行雑誌にも紹介していただいたり、インターネットで見つけて下さったり、、最近は特に遠方よりお越しのお客様が増え、本当にうれしいやら申し訳ないやら。。


この土地に入り、町のおとうさんおかあさん達と一緒に草を刈り、土を起こし、種を蒔き、お宮さんでお祭りを重ねて、つくづくここに住める事を誇りに感じている。
そして、長靴にほっかむりで農作業の途中にコーヒーを飲みに来てくださるおばあちゃんたちが「昔は(冠婚葬祭、お祭りお祝い)よくそれぞれの家により集まっては食べ物や飲み物や囲炉裏を囲んではああでもないこうでもないと話したもんだけど、最近は全部セレモニーホールやら式場やらで大きな家が寂しい。ここ(神音)が出来てまた皆が寄れる場所が出来たし、外から若い人や賢い人がたくさんこられて、話すのも楽しい!」と重宝がられて。
「今日は東京ナンバーのお客さんこられ取ったね!すごいねぇ!ねぇ!」と満面で喜んでくれる。


その笑顔に触れたら、これは自分の経営の店なんだけれど、町に風を入れて賑わいをもたらす町の財産みたいに扱われて、大事にしていただいて。。自分はこのコミュニティに必要とされ、役割を果たせる立派な人間になりたい!と自然に思えてくる。

実際不慣れな山里暮らしに、町中が気遣いを下さっているから生きてゆけるのであって、はやく「親」に頼らないで「自立」しなきゃというプレッシャーでもあるのだけれど、これがまた心地よい。

過疎高齢化「限界集落」といわれるこの町はしかし、今都市部では見られなくなった「あこがれの大人」像がある。

そういう自立した山の男になりながら、むさくるしさをなるべく排除(苦笑)しつつ、カフェの自由で有益な役目を果たせるよう、じっくりと取り組みたい。
なんせ、ライフワークだから。今無理をして続かなければ意味がない。


引き続きお客様には気遣いを求め、(立地ももちろん)不便にお付き合いいただく事となるけれど御理解賜れますよう毎日精進していきます。
posted by 農夫見習いパパ at 12:24| Comment(0) | カフェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月07日

エチオピア

エチオピア、イエメン産コーヒーが日本への入港時に残留農薬が引っ掛かり差し止められた。アフリカ最大の生産量を誇るエチオピアは零細農家や無数の農協が実に広い地域でコーヒーを生産しているが、度々メディアでも取り上げられる経済格差からの深刻な貧困問題や、搾取的資本の関わりについても実際は日本では情報が不足しすぎていて判断出来ない部分でもある。

アフリカ大陸や中南米を指してよく搾取の歴史と現状を取り沙汰する論もあるが、どの国でも中央の政治から離れた土着的な暮らしは存在するし、生活に対する価値観というものはあくまでわれわれ資本主義経済の只中にある者からの偏った視点でしかない。

かといって、人権的な不均衡を正当化するわけではない。搾取的構造は確かに存在するのだ。与えられる情報と世間体に流されずに、客観的なスタンスを保ちつつも自分という固体がそこへどう向き合って行くか?が重要な気がする。地球環境の問題についても同じだとおもう。未知の部分にはとかく必要以上に警戒し、極端でわかりやすい反応を示してしまうのが人間の弱さの常(自己正当化)だと思うが、自分という命がもしかの問題国に生れ落ち、翻弄されているとしたら。。。そんな想像力が論の中から欠如しているような気がする。

確かに解らないものに自分を当てはめるなんて出来ない相談だろうけれど、今与えられている当たり前(と自分が思い込んでいる)価値観のうちいったいどれくらいまでが「ほんとうにたいせつ」なんだろうか?

音楽が好きな僕にとってアフリカは、南アフリカのレディスミスブラックマンバーゾであり、アブドゥーライブラヒム(ダラーブランド)であり、異郷の地に住まわされ閉じ込められたラスタファの聖地。ポールサイモンであり、ロバートワイアットであり。

ぜんぜん脈絡が無いのかもしれない。けど、社会科の授業で教わって印象的だった、つい最近まで横行し未だ解決していないアパルトヘイトという大きな社会問題を抱えた国の人間が発する声にしてはあまりにも明るくやさしい響きを持った音、声。
遠く離れた異国の人間である僕の心に触れるやさしい音楽。。

そこにあるのは共感の心。普遍的ななにか。

ブラジルや南洋の島々でもかつて殖民地であった時代の暗いイメージはかならず引きずっている。戦争の傷跡だって世界企業の大きな広告を上から貼り付けて隠してるだけ。
いつしか資本主義経済という新たな悪魔がグローバリゼーションという飛行機に乗ってより巧妙で残酷な搾取を行っているが、皆が搾取しあう今の時代、まるでお互いの傷を深めつつ舐めあうような生ぬるく苦しい世界に変わってきているような、、そんな暗い想像を働かせてしまう。。。

でも、世界を旅する音楽によって繋ぎあわされている。
そういう人間の温もりや繋がりをみなが求めて止まない。



神音カフェのコーヒーのうち、「かのんブレンド」に使用している『モカ・アビシニア』はエチオピアホマー農協の組合員である農園指定(複数の可能性はある)の生産する自然乾燥(ナチュラル)製法のコーヒー。水洗処理設備を持たない小農園の生産指導(より高品質で高価に取引されるコーヒー作りの営農指導)やナチュラルで起こりがちな発酵欠点豆の発生を防ぐ管理指導など、さまざまな取り組みを前向きに行っているという。
そこにどこまでの搾取的(と外国人が判断する)構造があるか?気になっているが、品質の高さから推察できる『農家のものづくりとしての良心』が感じられる所から深刻では無いと思いたい。

「御陵山ブレンド」に使用している『モカイリガチェフ』も同じくホマー農協の商品だが、水洗式でハイグレード。世界でも評価の高い高品質コーヒーだ。上記と同じ理由で信頼しているが、継続的な農業、継続的な品質向上への努力を意識していることは間違いないので、その中でより農家所得を増やし、更なる「おいしい(気持ちの良い)コーヒー」をつくって欲しい。

書いていてなんだか日本の農業に通じるジレンマを感じた。
「継続的・発展的・長期的」視点。。。そして経済。

もうひとつのモカは「よぼしブレンド」に使用しているイエメン産のクラッシックモカ『モカマタリ』。これはブランドが出来上がっている上、古来より農家が自立的に(自給的に)営農していた暮らしに基づいた国の背景が違うので安定的と思いたいが、近年品質が落ちていると言われたりしている。
個人的には昔のモカを知らないので軒並み「スペシャルティ」で「おいしい」コーヒーがあふれかえって影が薄まっているだけのような気もする。


すべて(全量)のコーヒーではないし、去年度の入港分は検疫を通っているので判断しにくいけれど、トレースできるところまでの情報では現地農協と輸出業者までの工程ではそういう薬品が使用されるような状況は無いとのこと。そこから先、いくつもの業者を通じて日本に渡るどこかで使用され、汚染されているらしい。それで、命令検査が入り、入った事自体でこの上記2国からの『モカ』が今年度ほとんど入港しない恐れがある。


ブレンドに使用しいているので、一部使用品目を置き換えレシピを変えるか、お休みしなければならないかも知れない。。お客様にはご迷惑をおかけすることになるが、うちのような小さなロースターは深刻な(量的な)状況には及ばないかもしれない。。
「おいしいコーヒーの真実」というイギリスのドキュメンタリーを御覧になった方は是非、中米やアジアのコーヒー生産の状況にも興味を持っていただきたい。国ごとに、地域ごとに問題を抱えている。
判断は簡単には出来ないけれど、やさしい音楽のように、明日を夢見て、地道に取り組む人たちがそれぞれの場所にいる。
その人たちを応援できるように、自分の力も蓄えていきたい。
posted by 農夫見習いパパ at 17:00| Comment(7) | カフェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月09日

音楽とコーヒー

キューバの音楽に始めて触れたのは父親の影響でジャズ、ディジーガレスピーやケニ−ドーハムだったと思うけれど、それを「キューバのリズム、音楽」として噛みしめて感じ出したのはカチャオのCDを聞いてから。カチャオにしたって、ブエナビスタソシアルクラブにしたって、始めは『なんかカラダが揺れる独特のイイ感じ』とか『ユル渋かっこいい』とか思ってた(いわゆる頭で聞いていただけ)のような気がする。それが次第に大好きになっていった。。

店内の古い柱や梁、煤竹の天井に漆喰の白壁、、そこへキューバのリズムはミスマッチか?ケルト音楽は?
僕個人としては根源的なところで響きあう意外な親和性を感じている。

ラテンの音楽形式は様々だけれど、全般的に好き。
「シリアスでも明るい」「光を感じさせる音使い」「カラダの奥から揺さぶるリズム」。。

アイルランド音楽も深くてシリアスだったりしながらその音からは広い海原の包容力(自然信仰)が感じられて好き。
アイルランドから、ポルトガルから、ジプシーから、アフリカから、、音楽が出会って影響しあって、、オシャレで洗練されたスタイルもいいとは思うけれど、どこか土着的な感覚と明るさを合わせもった音楽に惹かれる。



『明るさ』と言えば、神音カフェでのコーヒーの味創りのキーワードのひとつでもある。
素材となる原材料豆の個性はとても大事な要素だけれども、コクや香りのきわだちにとらわれることなく、程よい印象を残しながらも後口に悪く響かない『明るい味わい』を目指したい。カッピング用語で『クリーン』という言葉があってそれに近いとは思うけれど、それだけでは無い、日本人が美味しいと感じる五味のバランスを意識して、コーヒーを嫌がる時に特に良く言われる『酸っぱい』『苦い』を『明るい爽やかな酸味(フルーツの新鮮な酸味)』『甘みを引き出す苦味』そしてコク、旨味成分にも通じるような塩味の印象、、(実際は植物であるコーヒーに「塩」は存在しないが、、)そういうものを理想にしている。

自家焙煎のコーヒー屋さんでは口を酸っぱくして(笑)言われる『酸っぱいのは酸化した(悪くなった古い)コーヒー』というセリフがあるけれど、実際は最近の焙煎技術向上と品質管理の向上によって『いやな酸っぱさ』を持つコーヒーは世界から消えつつある。
けれど厳然として「よろしくない工業製品的コーヒー」は溢れ帰っている。。
味わいが豊かでかつ後口も気持ちよい、、そんなコーヒーはきっと良いコーヒーだと思う。



よぼしブレンド:100g/530円

キューバ産のオーガニック認証コーヒーを主として、コーヒーの起源にもっとも近いモカ・マタリ9とホンジュラスの高地マルチネス農園で契約栽培された高品質コーヒーが香りに華やかさをもたらします。

神音のコーヒーの中ではもっともライトな印象(あっさりタイプ)で口当たりもマイルドですが、爽やかでかすかな酸味が香ばしさと甘さを引き立てます。
posted by 農夫見習いパパ at 16:01| Comment(0) | カフェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月27日

コーヒーが植物の種子である事を意識し始めたのはいつ頃だったか、、
それまではグルメコーヒースとかペシャルティコーヒーと呼ばれるもの、はたまたこだわりの熟成オールドコーヒー(冷暗所でじっくりと枯らしていったり、生産地で水分調整されたものをわざわざ陰干しにしたり。。)それから抽出の技術うんぬん。。。そういう興味が勝っていた気がする。

もちろん、そういう情報を得て味創りに生かしてゆくのは当然の姿勢だと思うが、以前程「コーヒー道」のような日本の自家焙煎&喫茶店界隈でもてはやされた「おっさん趣味」の癖に不透明で無根拠な『珈琲うんちく』に興味が無くなっていった。


コーヒーが農作物であり、しかも輸入食材であると言う事。
現にコロンビアだろうとブラジルだろうと生産地では収穫>乾燥後はまずはすみやかに焙煎>カッピング(香味検査)をするし、お米でいう「古米」を例にあげるのは違うかもしれないけれど、豊かで複雑な
香りは当年ものに勝るものは無いような気がする。

輸送にあたっても殆どはコストの低い(とはいえどんどん高騰している現状だが)船便で一ヵ月以上かけて運ばれる。当然、小麦や大豆等のように虫が湧けば燻蒸で薬がかけられる。
一部では高品質で希少性のある商品など冷蔵コンテナで薬無しで、また高価になるが空輸されるものもある。


お米生産と販売の間近に突入して感じ取った感覚から、天候や気象条件にどうしても左右されるのが農作物であるという当たり前の認識や、刈り入れの時期や方法、乾燥、その後の管理など様々な場面で落ち度があると品質を低下させてしまうという「なまもの」としての難しさを実感する事が出来た。

新米の時期はどのお米も香りが立って美味しいという事、品種によってはすこし寝かして旨味がでてくるもの(能登ヒカリは新米、コシヒカリは今頃〜等)、、しかし、年を越して急激に食味が低下するもの、梅雨時から気温の上昇と湿度で悪くなるもの、古米の時期まで殆ど味を落とさない上質なもの、、と経時変化も見逃せない。


植物種子として生きている(発芽可能)である状態では、種子内に成長>発芽に必要な多くの有機性分が含まれている上に、水分量も程よく調整されてくる。
良い土壌でミネラルをしっかり貯えて育ち、完熟をしっかり待ち、種子内の成分が偏らず成熟し、焙煎という加工を加えた時にそれらの成分が上手く生かされる、、そんなイメージ。

焙煎とは焼き焦がす作業のように思われる事があるがそうではなく、そのものがもつ水分を上手くコントロールしながら加熱し内面外面双方の化学変化をもたらして旨みを引き出すことである。野菜の無水調理やカレーを仕込む時の玉葱炒め、洋菓子を創る際の焦がしバターやカラメルも実際に「焦がし」ては旨みもへっちょくれも無い。そのギリギリの所を追求する『調理』である事にも通じる所がある。
上質の焙煎に向かうには種子内の水分の動きを意識しなければならない。

枯れた方が味が整理され(焙煎も容易になる)るという事もいわれ、一理あるけれど、一般に大量に流通し、口にしている味(受動的味覚)、大手企業、外国企業含めての工業生産的味覚がどうしても基準になってしまうという「味の記憶」と好みの問題とからめるともう語ることは不可能に近い。


『焙煎』という加工にあたって、原材料の質が高い事は大前提だけれど、野菜と同等に「農作物」である以上、その安全性や生育の方向性と履歴、流通の透明性が最重要であるし、品の状態を知り、適した焙煎でその持ち味を生かす事が生産者や農作物の恵みへの感謝だと思うようになった。





『かのんブレンド』100g/450円
神音カフェのメインブレンド。程よいコク(苦味・酸味・甘み)とあかるい後口、余韻のある香りを目指しています。
おとなしく飲みやすいけれど、いろいろな表情がある。ブラジル+コロンビア+モカというブレンドの王道に挑戦しています。


【ブラジルイーストコ】〜ブラジルの標準的な美味しさを表現した生豆ブレンド(お米で言う標準米、魚沼産コシヒカリなどのように産地のみ限定)
【アンデス・マラヴィーヤ】〜コロンビア産地指定、ティピカ(コ−ヒ−原種)100%を伝統農法で育てています。
【モカ・アビシニア】〜エチオピア産のモカ。ホマ−農協の特別ロットで天日乾燥処理。

posted by 農夫見習いパパ at 10:42| Comment(2) | カフェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月22日

臨時休業期間のおしらせ

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いよいよ直売所も建設会社より引き渡され、準備が大詰めになってきた。7月上旬(できれば7日を目処に)オープンの予定だが、こうしてからっぽの施設を目にすると気持ちがいっそう焦るものだ。。
100%民間の事業であれば、もう少しじっくりと準備もできたのであろうが、市や国の補助制度を基盤に実に多くの方々のお力を得られ、急ピッチで進行した反面、我々地域法人(株)神子の里が主導的に進められる部分も制限があってどうしても後手に廻ってしまっている。

とはいえ、ワガママを言って神音カフェもお休みさせていただき、本腰を入れてこの設備の充実した基礎を創り上げたい。
認定農家でもある代表取締役社長や、創立関係者含め、地域の方々みなの「意識」が集約しつつあるのを感じる。
はっきり言ってこれは神音カフェ創業よりも何倍も緊張しているし、重い責任も感じている。
地域は明らかに高齢化している。
機動力がある世代は殆どが兼業農家として市街地に働きに出ている事もあり、人出ははっきり言って足りない。
それでも、今回の一つの目標である「地域産業ー地域雇用の創出」これには非常に明るい兆しが見える。僕と同世代のスタッフが数人、地域を想い、わざわざ現在在籍している仕事を削ってまでこちらに関わってくれている。こんな「あたりまえ」もあっていいし、僕がこの土地へ来た最初に感じたこの土地の『力』を見事に表す事象だと思う。

そしてまた、僕がここへ捨て身で関わっていこうとしている理由には「地産地消」「食料自給」「循環型環境保全社会」「過疎高齢化対策」・・・大袈裟だけど、昔の当たり前の価値に光をあて、きちんと産業として土地に根付かせる。そして発信する。
それがこの土地、ひいてはこの国に生きる者としての務めのようにも感じるし、長期的な視点は自然の営みのすぐ傍にあると言う事をもう一度見直してもらう切っ掛けを創りたいから。
それは神音カフェと同じ存在意義。
そしてなにより『かっこいい』と思えるから。

ルーツを掴んだものの強さは世界共通。
誇りをもって、世代を継ぐ。
そうありたい。


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【臨時休業期間のお知らせ】

いつも神音カフェを御利用頂きありがとうございます。
また、お越し頂いたかたからの御紹介で神音カフェへ御来店の御予定であった方ようこそ。お越しいただける日を心よりお待ちしております。

誠に申し訳ありませんが、
店主7月上旬オープン予定の農産直売施設「神子の里(みこのさと)」の開業準備にあたる為、神音カフェを暫くの間臨時休業させていただきます。期間は

平成19年6月17日〜平成19年7月中旬(未定)

となります。
直売所「神子の里」オープン後はテイクアウトスタイルのコーヒーを神子の里直売所内で販売の予定ですが、本体の『神音カフェ』も営業時間を午後〜の縮小した形で随時再開してゆく予定です。
こちらはまだ目処がつかずはっきりとした事はお伝えできないのですが、、
なにとぞ御理解、ご了承頂きますようお願い申し上げます。


神音カフェ
武藤 一樹

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写真はグミの実(園芸種)、熊苺、野苺、桑の実、菜園のズッキーニ&きゅうり初果。野苺は本当に美味。売る程採れないのがまた希少価値。神音カフェの営業があればケーキのデコレーションに使うのになぁ、、これは来年のお楽しみ!
posted by 農夫見習いパパ at 09:03| Comment(3) | カフェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月17日

お知らせ

申し訳ございませんが、店主怪我のためしばらく休業致します。
posted by 農夫見習いパパ at 17:08| Comment(3) | カフェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月01日

オープンします&地図

明日3/1オープン致します。

営業時間は午前10時から午後5時まで。
当分の間定休日は毎週火曜日と第一第三日曜日です。(3/4は営業します)
また3/11は臨時休業致します。

地図は下記のアドレスをご覧下さい。(拡大縮小できます。)
http://map.livedoor.com/map/scroll?MAP=E136.52.42.4N36.52.30.3&ZM=10


集落に入ってからは、妻のブログの日記を参照して頂くと分かりやすいかと思います。
http://kohukohu.seesaa.net/


posted by 農夫見習いパパ at 00:00| Comment(14) | カフェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月14日

Back ground music

音楽がもつ力というものを感じて、ゆえに音楽を愛してやまない人は実に多いと思う。その場にいる人を共に包み込み、高揚させ、また和ませもする。

僕自身、無類の音楽好きで、どんなジャンルであろうともとにかく音楽を純粋に愛する人には強い共感を覚えてしまう。好きが高じてレコード屋に就職したり、アマチュアバンドに興じたりしたくらいだし、いまだにその熱は冷める事が無い。

有線というものが嫌いだ。当然、ヒットチャートやランキングも馬鹿げていると思う。音楽販売業にいたからこそ感じた「商業的背景」のいやらしさや、したたかさ、本質を紛らす多くの広告手法など、、『音楽』が持つ芸術性や多様性を損ないかねない業界の在り方に疑問を感じている。

事実、かつてインディペンデントと言われた「零細/趣味的」音楽発信がいまやブランド化し、確固たる商業基盤を持ってしまった。
もはや「独立系」なる本来の意味は全くといっていい程失われている。それは芸術としての作品としての独創性、価値を損なう流れでもあるし、本当の意味でのマイノリティを排除してしまう恐れもある。(情報毒)

ただし、ここのところ台頭してきている「ネット配信」の中にはかつてのインディの精神を生かすものも出てきているし、i-tuneなどのライブラリ機能は音楽愛好家にとってとても好ましく、音楽をあまねく人が楽しむという有意義で大きな価値を産み出している。
求める人に、求めるものが行き渡る。しかも商業的かき混ぜ無しに。
(そこにもgoogleを指すような巨大ビジネスが背景にあるが、その有用性。使いこなす事が出来れば本当に意義深い発展と言えると思う)


僕の音楽の好みはおとなしい。(ト思う。)昔から同じ空間で友人たちと分かちあう音楽を好んできたから、友達や交流が広がる程に、多種多様なジャンルの音楽をセレクト出来るようになってきたと思う。
いわゆるBGM=Back ground musicとは、邪魔になってはいけないけれど、確かに響くべき音楽なのだ。有線などが垂れ流すノーフェイスセレクトはいわば「騒音」「雑音」にすぎず、仮に同じ音楽をかけたとしても意味合いが異なる。

音楽を選ぶ人が居てはじめて、その人の気持ちが入った空間になる。
つまり、その選者の顔が見えてこその空間音楽だと考えるのだ。

日本は食事やショッピングにも有線などの音楽の垂れ流し、混ざりあいが多く、音楽へのリスぺクトが低い国のように思える。携帯の着うたなど際たる例だ。コンビニでもテレビでも質の低い音楽が垂れ流され、市民も疑いなく受入れている。そこへ産まれるマーケットもまた罪深いものだと言っておこう。
音楽を選び、自分の為に聴く。仲間と楽しむ。空間を共有する。たいせつに。

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2006年09月06日

cafe

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『カフェ』と呼ばれるものが『喫茶店』を塗り替えて、風景の一部として定着してきた。『雑貨屋さん』『パン屋さん』『美容室』もそうだけど、こんなに出来てだいじょうぶなの?と思うくらいあちこちに、、そして関連の雑誌も多い。
それだけ注目が集まっていると言う事だが、その本当の役割を意識している所は意外に少ない気もする。
偉そうに言うのもなんだけれど、商売であるからには「お客さんの要望ありき」で成り立つのだから「あってもなくてもどっちでもいいもの」にならない様にしなければならない。「必要」と思って頂き、かつ「生活の一部」「地域の一部」にしっかりと成長していきたい。
、、と言う事はその地域で何が求められるのか?を知り、またどんな要望を汲み上げ実現出来るのか?が大切。つまり積極的なコミュニケーションや交流能力と柔軟な対応が求められるわけだ。

イタリアで感じた都市とカフェ(バール)の密接な関係。歴史と文化と人を交差させる「通り道」。
日本においては生活の中にコーヒーやパンが定着しつつあっても、国や地域独自の歴史と文化を繋いで深めるような公共の場はいまだ少ないと思う。
そういうものになじみや親しみがないのだ。
国民性というものももちろんあるし生活スタイルも違うけれど、国や自分の暮らす地域に誇りと愛を感じる為に、そんな場所がもっとあって良いと思う。日本らしい、独自の通り道をKanon Kaffeeで実現したい。
posted by 農夫見習いパパ at 00:04| Comment(2) | TrackBack(0) | カフェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月22日

特別な個性

コーヒーについて話が続くが、今「美味しいコーヒー」を求める確実に『スペシャルティコーヒー』にぶつかる。では、このスペシャルティとは何か?
その定義は多様であり、ゆえに曖昧な部分も含む。
日々多くのコーヒー業界の人間たちによって研鑽され、その定義の基準(価値)の共有を計ろうとして働きかけあい続けているが、何せ、混迷している。

では、消費者は何を信じればよいのだろうか?

もともとはコーヒー国際会議内でエルナ・クヌッセン氏(米)が
『特別の気象、地理的条件がユニークな香気を持つコーヒー豆を育てる。』
という発言をした事を原点にさまざまな解釈、定義付け、国際基準作りがなされてきた。

国際基準として有名で影響の強いものとしては「COE(カップオブエクセレンス)」「Q-Auction」があげられるが、審査は消費各国のカップテスター/コーヒー豆販売業者によって厳密に行われる。基準も公正かつ公平である。
これらで上位入賞したものや、高評価を得た豆はとんでもない価格で取り引きされる。(ここに市場の歪み、生産者から消費者への不要な壁が生ずると私個人は考えているが、、)

しかし、そこで判断を下してはいけない。

スペシャルティコーヒー協会でも『最終的に顧客の手に渡った時のカップ』の価値を基準にするべきという声の通り、

@収穫後(カップテスト後)どういう状態で生豆管理され、
@どういうルートを辿り、日本国内へ入り、
@国内において生豆問屋がどのように荷受け、管理し、
@焙煎業者に確かに受け渡された上、
@『コーヒー生豆』を鮮度管理し、
@適正かつ高い技術で焙煎され、その個性を最大に引き出し、
@適正な抽出にて、顧客の手の中のカップの中身の液体となる。

その時まで、一つもぬかりなく、

@心を込めて。

つまり、顧客の口にはいるまでの全工程でベストがつくされたものにはじめて与えられる称号だと思われる。


その際、間に入る我々販売者はその価値を正しく伝える務めがあり、もし、その価値を損なっても「スペシャルティ」のブランドをうたえばそれは詐欺まがいの行為となってしまう。

販売者の信用をもって、その正しい価値と愉しみを伝え、顧客へ『特別ない一杯』を提供させていただく。あくまで裏方としての立ち位置を守り、価値の押し付けや詐欺を働いてはならない。
シンプルゆえに『焙煎』という加工の技術も問われるが、『ハート』と『オリジナリティ』のない商品は扱わない。

posted by 農夫見習いパパ at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | カフェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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