2011年06月18日

梅雨の雨は梅の香り

一昨年に植えたピーチストロベリー。
去年はもう少しで食べられそう!という絶妙のタイミングで狸か狢に食べられてしまった。。
子供達はがっくりしながらも「動物達も食べたかったんやね、、」とまろやかなコメント。
育てていた僕としては怒り心頭!
取られてなるものか!と、今年は実がある程度入ったらしっかりネットで覆った。
そして念願の。

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「桃の香りがする」との説明の通り。完熟果は桃そのものの香り!
しかし、味わいはちゃんといちごの程よい酸味があり、とても美味しい!!!
果肉はワイルドストロベリーに見られるような多少スカスカしたやわらかいものだけれども、しっかり瑞々しく、濃厚。
香りたつ完熟まで待つと、やわらかくて繊細すぎてとても出荷できるようなモノではない。
そういう意味ではラズベリーと似ている。
香りも味わいも、畑からの距離が近いことを要求する贅沢な果実だ。

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たったの3株という事が余計にありがたみを増してくれる。
8月からは苗作りもして、来年はもっと楽しもう。

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そして、雪で痛んでしまった庭のシンボル。古木の梅の木。。
なんとか次の雪までに支柱を立てて守りたい。
今年は実をほとんど落としている。どうか持ちこたえてほしい。

余り雨が降らない事と、例年より若干気温が高めという事で畑の作物たちはとてもいい感じにのびのび育っている。
毎年関心するジャガイモの花のうつくしさ。
品種により色形が若干異なり、自家種で植えているその畝は、一列の中に間違えて時々違う色が混ざって、其のさりげない主張がなんともかわいらしい。

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posted by 農夫見習いパパ at 10:28| Comment(0) | 菜園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月11日

木苺の赤

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今年の春、一株だけ植えたラズベリー(インディアンサマー)。
もともと熊苺が自生し、繁殖していた場所だったからか、もともと木苺というものは育て易いものなのかは定かではないけれど、初夏に成り、そして今秋果がたわわになっている。
甘さは程ほどなれど、香りよく、昔おばあちゃんが見せてくれたルビーの指輪ように深い色。
澄み切った雨上がりの秋空に、秋の光にきらきらときらめいている。
これが見られただけでなんだか得した気分。

そうそう、2年生になる長男がスクールバスの窓から見た二重の虹のことを日記に書いていた。

一株だけで、「たわわ」といっても知れた量しか採れない。
超限定だけれど、神音の定番ケーキのガトーショコラに数回彩られるかも知れない。

来年以降株を増やそうか、、こぼれ種で増えて広がるのを気長にまとうか。
、、でも交雑したらこんなに綺麗じゃ無くなってしまうだろうなぁ。。
posted by 農夫見習いパパ at 12:07| Comment(4) | 菜園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

有り難い

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「有る」「難しい」
そう。滅多にないから有り難い。

「与えよさらば得られん」とは、よく経営学や生き方を模索し学ぶ時に耳にするが、"Give and Take"であって、その順序が逆では都合が悪い。

でも、ここへ住んで自分はひとや自然に何かを与えることが出来ているのだろうか?
経済的には皆さんの想像よりずっと窮屈だけど、気持ちが窮することは無い。
それは凄く「あちこちから助けや援助を受けまくってる」から。


で、有り難がってばかりいる場合では無くて、ふとお返しがきちっと出来ていない感じで不安がよぎるのだ。
町の人たちは高齢化してもまだまだエナジーにあふれ、生産力にあふれ、喜びにあふれ生きておられるので、僕らはそのおこぼれにあずかっている構図だが、それがずううっと続くわけでは無い。

お客様も珍しい「少々話題性のある」この場所へ何とかたずねてくださるから商売がなんとか続けてゆける。。

本当に有り難い事。


自分がこの土地の自然の一部になって、循環を生み出し、人に何かを与えられるように。
力をつけて行きたい。
30歳を過ぎて付いた肩や胸の筋肉は、野良仕事と薪運びが原因だけど、この体に感謝している。
何かを生み出してくれるもの。それが自らの体であることを、女性は身を持って感じられるのだけれど、「農」を離れた現代の生活では男性がその感覚を得る機会が少なくなったのかもしれない。

もともと引き締まったところのない、情けない、インドア派バリバリの体系の自分でも、少なからず必要な運動と気持ちのマッチョイズムを満たしてくれる生き方でいられるという、この環境がまた「有り難い」。

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2010年06月24日

農法とくらし

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反省したなまくら農夫は、苦手な「育苗や鉢植え」を克服するべく、春先から畑に心を注いでいた。
そして、冬越しのエンドウやソラマメ、たまねぎ、大蒜の育ちはぼちぼちなものの、ちいさな育苗用(防寒)テントをこさえて、トマトにバジル、ズッキーニ、インゲン、ナス、ミニきゅうり(ピクルス用)、雪化粧かぼちゃをすべて種から育苗し、それぞれの畑に植え付け、活着し、今の所順調!

鉢植えも堆肥を活用しつつ、あさがお、るこう草、千成ひょうたんに、お客様から頂いた藤の幼苗、黒法師の鉢を手入れ。

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じゃがいも、サツマイモもいい感じ、ジャガイモの試し掘りもよさげ。

そして、金沢からつれてきてずうっとしょんぼりだった、瑠璃玉アザミは株を広げ、ドライオレガノ作りも順調。
こぼれ種のカモミールとディルは力強く広がり、韮とねぎの種まき後の生育も順調。

、、なんだ、やればできるじゃん!

といい気になるのはまだ早い。
そのうち生い茂る雑草と、夏の暑さに悲鳴を上げて万歳しちゃうかも。。
只単に、この丸3年、この土地の自然の移り変わりと畑の土の様子をみながら「タイミングがなんとなく体に染み付いてきた」ただそれだけのことかもしれない。

化成肥料を使うことには抵抗があったけれど、畑それぞれの土の状態と、適正がなんとなくわかるような気がするこのごろは、ごく微量ずつ補うように試している。
それは、ゆくゆくちゃんとした堆肥やボカシ肥が作れるようになったら置き換えて行きたい。

農家見習いは、この町のばあちゃん達の見事な輪作と種取、土捌きにようやく一歩だけ近づけたような気がする。

ばあちゃんたちはもともと出荷が目的では無い。
それは生きる糧、そして心の糧、先祖への感謝、、そんな見えない「くらしのこころ」があふれた営み。

自然農法、不耕起栽培、無農薬、有機栽培、水耕栽培に、施設園芸。
土地利用型大規模農業と、家庭菜園。

趣味的な、時間とコストの浪費的な家庭菜園は「しょせん」といって馬鹿にされたりするが、土と植物を何年もかけてちまちまと観察することは営業農家、専業農家には生活との秤の上で難しい面が多いのも確か。

りんご農家の木村秋則さんの苦節の10年。
その道を目指す人は必ずそこを通らなければならない。
近道なんて無い。

だけど僕だって、コーヒー屋を、カフェを目指して10年以上経っているし、実現した今もたかだかスタート地点に立てたにすぎない。

家庭菜園も8年目。無農薬で、ほったらかしで。農家出身ではなく。
でもそれは多分これから一生つづける営み。
趣味ではなく。


収益性があるかどうかは継続にはとても重要な要素だけれど、
「農家である」ということの生命力の原点をこの土地に感じた僕は、
農業というものの世間一般の先入観から遠いところに、
満ち満ちた「くらしの密度」としての生きた農家の姿があると確信している。
それは倦厭されたり、卑下されたり、自己満足とやっつけ仕事の工場生産ではない、高い精神性をもった「憧れられる」営みである。

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これらはすべてこの家の廻りに大した世話をするでもなく毎年花を咲かせてくれている古い株のもの。

8年前から毎年僕の野良仕事を見守る睡蓮。

雪で曲がってしまったけれどきれいに咲いた。ちょっと前の桃の花。
posted by 農夫見習いパパ at 13:26| Comment(0) | 菜園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月03日

だめ農夫

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鉢植えは苦手だ。
何事も割とマメな方だと思うし、畑をいじってると「まめだね〜」とか「まめじゃないとできないよ!」と言われるが、こと、植物の栽培については大変大雑把、かついい加減であると自覚している。。

特に鉢植え、育苗、などの作業はどれだけ水をやればいいのか?科学肥料を使わないでどうやって肥効を保てばいいのか?とか、考え出したらまるで鉢の中でぐるぐる回って行き所を無くした根のように息苦しくなってしまう。。

だから、季節の変わり目の作物の世話を怠って(たとえば鉢上げ、トンネルかけ、雪囲い、マルチング、、)枯らしたり、とう立ちさせたり、、

その朽ちた様子を目の当たりにして『ごめんよ〜う、、こんな主人で、、』と反省しつつ、ちっとも次に生かせない。なんとも情けない農夫だ。。

とはいえ、やっぱり土に触れるのは楽しい。

時間さえ許すのならば、毎日毎日、何時間でも地面に張り付いていたい(専業の農家さんに笑われそうだけど)。
カフェの仕事は仕込みが大半を占める。営業時間は6時間だが、実働は12時間では下らない。。休日に農作業を!と考えていても、意外にそれ以外の野良仕事(草刈、薪用意、林の手入れ、庭の手入れ、、)や、各種の寄り合いや、出向。。

畑を横目に見ながら、後ろ髪をひかれながら、そわそわと、時期を逃してしまう。。。


近所のばあちゃん達にも「武藤さん忙しいから、畑は無理だよう」なんて言われると恥ずかしいような情けないような、、
ここに住んで畑が出来ないなんて「一人前」じゃない。
だから、出来るときに黙々と作業。

うまくいかなくたっていい。

その時間と感を、少しでも育てて学習して、少しでもものにしたい。



雪がすっかり解けて顔を出したうちの菜園。離れの菜園に今年はりんごの木を植えよう。
雪で折れてしまったブルーベリーとオリーブ。今年こそシッカリ養生して立派な株に育てて行こう。イチゴも収穫できますように。瑠璃玉アザミが美しく咲きますように。ちゃんと菜っ葉を収穫できますように。
がんばろう。
posted by 農夫見習いパパ at 23:13| Comment(2) | 菜園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月25日

親が僕につけた名前「一樹」(いちじゅ)
自立し、足下の土と微生物、地表の虫や動植物を守り、風を受け天を目指す。自分自身がしっかと立ち、その前提の上で小さな生態系を循環させる「樹=大きな木=高齢の木」たれと。
逆に言えば、身の回りの環境が整わないと「木」で終わってしまい
「樹」にはなれない。
すなわち、自分が立つその環境を自分で整備し、身の回りの実に複雑で偉大な自然と早くに協調し溶け込まなければならない。
人の上に立つとか、事業を成し遂げるとか、友に恵まれるとか、身近な想いは込められないが、自己中心的だったり、場当たり的だったり、賭けに出るようなことは許されず、律せられ、縛られている。

名によって。


思えば僕の環境というものへの意識や流れてゆく時間への考え方にはこの名前が深く影響している。

父親に名前の由来を聞いたことは何度かあるが、その意味を繰り返し聞いたのか、それとも早い時期から自分の名前が気にいって意味づけしていたのか。。
少なくとも幼稚園時代は「いちじゅなんておじいちゃん(と思った)みたいな名前は嫌だ!」といって「かずき」と読んでもらっていた。
おかげで未だに帰省すると父も母も「かずクン」と呼ぶのでなんだか可笑しい。。(自分で「イチジュ」とつけたくせに)

小学校も高学年頃から、中学生時代は美術が得意で「人と違っていること」が心地よく、違っていることを周りの人々が「認めて」くれているように(都合よく)感じていた。
このころからすでに天然の楽天家、シアワセ者の兆候はあったのかもしれない。当然「イチジュ」という変わった名前が誇らしかったし、いちいち意味を説明して得意げになっていた気もする。

「ゲド戦記」や「ナルニア国物語」「指輪物語」を読みつぶし、自然と魔法、神(意思)と人間、そして生き方と名前(アイデンティティ)について夢想する中学高校生時代。

大学に入って、必死になって自己同一化を図っているそのとき、両親は離婚し父親が仕事仲間にだまされて抱え込んだ借金で、早急に自立する必要に迫られた。未だに育英会に自分で学費を返し続けている。


自然由来の名前をつけられて、さらに、なんだかタイソウな哲学的な仕向け。本の虫、パソコンの虫、仕事の虫の父親の仕業。



父は「直樹」岐阜の自然を愛している。渓流の美しい自然の中に幼少時にしょっちゅう連れて行かれた。父親も子供の頃金華山の雑木林を走り回り、川で泳いで育っていった。今彼は趣味の鮎つりを通して自然と関わってはいるけれど、その接点は本当に小さなものだ。(仕事の虫)

だけどそれを僕が引き受けている。

自分の名前を気に入っている。
名に恥じぬ生き方をしたい。


posted by 農夫見習いパパ at 21:02| Comment(0) | 菜園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月11日

ダイナミクス

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畑は家の真ん前にあるのに!忙しくてなかなか手入れ出来ない、、
けれど、空き地を開墾して作った畑じゃなくて、ここは正真正銘ず〜っと畑だった場所。長年このうちの人たちが自給野菜を上手に作り続けた地力溢れる場所だ。
籾殻に藁、野菜くずに裏の林の落ち葉。有機質を含んでフックリした土に植えた苗はどれも生き生きとしている!梅はたわわに実り、金沢の畑から連れて来たハーブ類も睡蓮も元気に花を咲かせてくれている。蒔いた種もぐんぐん伸びている。明らかにエネルギー満ち満ち。
こっちまで元気になってくるようだ。
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、、けれどそれは「草=雑草」も満ち満ちと言う事(苦笑)。昨日は菅池町の『道路愛護日』産まれてはじめて操作する草刈り機に右往左往しながらも丸一日、集落の主要道路、外へ繋がる道3〜4キロを町民総出で草刈り!
やっぱり70.80のお爺ちゃんもガンガン刈る刈る!一番若いもんの僕がぶっ倒れる訳に行かないので気合いでパンパンになった両腕を駆使して頑張った。
この菅池町は近隣集落のお客様が来ても度々「手入れがされてて綺麗なまちですね」と言われる。確かに、住居が密集してるのもあるけれど、協力しあって町内美化に力を入れている。誰がいらっしゃっても恥ずかしい事は無い。
神音カフェも多方面からいらっしゃるお客様に支えられているので、道を綺麗に気持ちよく保つのはこれ「もてなしの基本」とも言えそう。道の細さはどうにもならないけれど、、
しかし、、腕が痛い(苦笑)いらない筋肉に力はいってたんだろうなぁ。。
posted by 農夫見習いパパ at 21:24| Comment(4) | 菜園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月26日

菜園からテーブルまで。

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稔りの秋は食欲の秋。菜園では今からの季節あぶらな科の野菜がどんどん美味しくなる。成長過程の「間引き菜」(=つまみな)のフレッシュな味わいはメインにしてもいいくらいの存在感!

サツマイモはもう少し置いてデンプンが糖に変わって行くのをまった方が美味しいけれど、待切れずにどんどんふかしてしまう。
季節と土地にあった作物なら実はそんなに手間をかけなくてもあるていどのものが出来てくる。それでも、土や蒔きどきなどの手入れはやっぱりコツがあるようだけど何年か続けてるとなんとなく出来てしまう。
楽しんでるからかもしれない。

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畑へはなるべく外からの肥料分は入れないようにしている。台所から出る野菜屑、魚介屑、茶がらに、家庭で精米する際に出る糠をあわせた堆肥が基本だけれど、生えまくる雑草もむしっては其処にひいて土にもどしている。
虫はつくけど大量発生する事はないし、年々立派になる収穫物に喜びは増すばかり!(相変わらず、トマトやナスなどの夏の果菜類は市場品みたくうまくはいかないけれど、、)
posted by 農夫見習いパパ at 10:38| Comment(0) | 菜園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月25日

うつくしいもの

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今住んでいるアパートには『庭』がある。
、、正確には同じ敷地内にある「空き地」だが、雑草が只生い茂るだけで、定期的に大家さんが草刈りをしているだけの「もったいない」場所。
しかし、アパート建設の40年近く前から雑草のサイクルが続いてきた場所で、しかもさらに昔には小川が流れていたという。(泉が丘の地名と、土を掘ると出てくる丸石が物語ってる。隠れた歴史があるなあ。)
土はよく肥えて真っ黒。少々重たい粘土質だけど、だいたいの野菜は上手く作れるようになってきた。

土地は広いけど、開墾(石と雑草の根とり)が大変だから、程よくしか場所を作っていない。残りの土地は荒れ放題。
本当はもっと広く耕したいけれど、会社勤めしながらの限界もある。
それでも、年々広げては来た。今年は麦も収穫出来たし、サツマイモも1年ぶん収穫。

そんな畑だけど、作業の途中にココロを潤す花やハーブもあちこちに配している。なにがしかの花が年中咲き、実をつけたり、種を稔らせたり、、
特に手をかけないけれど、それらが与えてくれる潤いははかりしれない。

それ、そこにあるだけで、うつくしい。
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2006年06月18日

菜園

家庭菜園をして5年めになる。「自給するんだ!」なんて意気込みばかりの1〜2年めでも、上手くいかなくてもただ収穫があるだけでも純粋に喜べた。今でもけして上手には出来ないが、農作物を『観る』つねに心にあり、気にかけ、必要な手入れをする。そんな事が少しは体得出来て、リラックスして取り組めるようになった。
サービス業に勤めながらの管理なのでどうしても「週末農」になりがち。かつ、時期を微妙に外してしまうのを仕事のせい(苦笑)にしてみたり。。
とはいえ、住まいの裏が菜園で(同じ大家所有の空き地を借りて)2階のベランダからいつでも俯瞰できるというのはある意味これ以上の贅沢はないだろう。。
なんせ、たべごろの農作物を目で確認してからピンポイントで収穫できるし、雑草のコントロールもがむしゃらにしなくてもいい。
今後別の土地で菜園をするにしても「俯瞰」できるロケーションを夢みてる。

もともと美術の勉強をし、無類の『ものつくり』愛好者である僕。
畑のレイアウトはおのずと庭園調となり、見た目にも美しい、多品目/必要最少量の作付けと、ハーブやら果樹やら、畑開墾で無数に現れた丸石の敷き詰め方に、並べ方。パーマカルチャーはどうも外国産な気がして、「ちいさな里山箱庭畑」を目指している。
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posted by 農夫見習いパパ at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 菜園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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