2008年02月07日

民具

玄関の戸は3重になっている。外屋といい、外気を空間で調整する賢い仕組みだ。
昔読んだ「注文の多い料理店」を思い出す。そういえば、神音カフェも今の御時世にしては「注文が多い」ような気がする(苦笑)。。

ところが外側のアルミ格子戸と部屋の戸の間の、上がり框の戸が無かった。引っ越し当時(去年の今頃)はじいちゃんばあちゃんが住んでいたままの状態で、入り口の部屋(多分昔は土間だった)の戸は気密性のいいアルミサッシに変えられていた。が、お店にするにはあまりにも不粋だという事で、サッシを外して他の部屋の木製の戸を代わりに当てた。

アルミ戸を4枚減らして住居スペースの分をあてがっても厨房スペースなどカフェ用の間取りにするにはかえって都合が良かったし、雰囲気がぐっとよくなった。
が、その上がり框の前の戸は他の戸よりも丈が長く、代用がきかない。。家の中や納屋を探しても見当たらない、、
ガラスが割れたり痛んだくらいで昔の人は家の部品を処分したりはしない。直せば使えるのだし、どこかに在るはずだとは思っていたが、1年越しでとうとう探し当てる事が出来た。

なんと、米蔵の奥。

米蔵は現在もお父さんの米が入っている。お父さんはこまめに空気を入れ替えながらも米を出したり漬け物桶を前室に運び込んだりいつも出入りしているので気が付きそうなものだが、灯台元暗し。
実際蔵に灯りがないのでお父さんはヘッドライトをつけては入っている。
この前何かの用事でお母さんと蔵に入った時に発見。

それで、お父さんと話しながら戸を取り出していると、これも引っ越し当時頑張って探していて結局見つからず自分で製作するに至ってしまった『炉縁(床縁)』いわゆる、いろりの枠も2種類発見!

何故2種類か?というと、ひとつはこたつ用の格子の付いた台が固定出来る作りになったものと、通常のシンプルな枠と。

他にも昔外屋を改装した時に外したと思われる窓枠などまさに
『お宝蔵出し』状態。
只眠らせて朽ちさせてゆくよりはと、木桶等他にも使えそうなものも出しておいた。
お母さん曰く、「使わない戸は、マメや麦や米なんかの手作業で散らばる作業の脱穀の時などに『囲い』として使ってた」そうだ。
米蔵に置いてあったのもうなずける。

こうしたいわゆる民具というものは昔ながらの職人の確かな技と、長く使えるという耐久性を備えていて、戸大工さんの仕事としても今ではとても高価になってしまうような丁寧なつくりのモノが多い。

綺麗に拭いて暫く使えばまた艶を取り戻して実用によし、気持ちを満たしてくれてなお心地よい。



モノの価値の定義は様々だろうと思うが、
『用の美』という、使われるもの、使い続けられるもの、すなわち長期的に見てシンプルで使い易く人に馴染む。そこに美しさが在るというのは確かだろう。

目の前から「使いにくい」という偏見とステレオタイプと経済の旨い罠(現代的、経済的とかなんとかいう文言)で次々とつまらない工業製品にとって変わられ姿をけしてゆく『民具』たち、、

また骨董ばかりに価値があるのではない。「お宝鑑定団」や「劇的ビフオアアフター」「お宅訪問」、そして伝統工芸なる中途半端な芸術主義が生活の中の工芸を追放し、価値を知らない中古品業者やオーダーメイドのフリをした企画商品を見抜けない消費者によって微妙で貴重な立ち位置だった『場所と人に反応する有機的な価値観』の総体が切り捨てられてしまったのかもしれない。

「そのひと、その場所、その暮らし方に用を足す」民具。
モノの価値は限り無く個別の生活に密着しているにも関わらず、
判断と感性を鈍らせる情報と経済にまんまと毒されて、それでも人と違う不安に弱い日本人は現代のジャンク企画品が大好きである。

奇しくもカード会社のCMのキャッチフレーズに「その価値、プライスレス」なんてのがあった。プライスレスに囲まれる暮らしは最上だろう。



木桶の竹製の『たが』を絞める職人、戸大工さんに、大工さん、左官屋さんに、金物屋。。。これらの職業のそのままの復興は無理にせよ、現代的な感性をもちつつ、能登の昔ながらの暮らしを伝える民具をリペアして生活に戻してゆくような職人で商人さん(もしくは技術の高い作家さん)がこの地区に入ってくれれば、その価値を朽ちさせることなく伝えられるのになぁ、、と心から思う。
posted by 農夫見習いパパ at 09:43| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月04日

我の緩慢なる崩壊と再生

とても長い一日だった。
しかし、もっと長くてもいいと思えた。
集まった方々は年齢も属する場所も実に様々、「神音ゼミ」と銘うって『ヒトゴトヲジブンゴトニ』をテーマにそれぞれ思いつくままに話し、問いかけ、交流した。
主催の川口氏がパーソナリティとなり、まるでラジヲの進行のように合間に素晴らしい音楽を挿みながらの、とても滑らかで心地よい時間だった。

僕といえば22名の食事と絶えまなくコーヒーを抽出する事に完全に手が塞がっていたにも関わらず、この場所の、この家の、この屋根の下にいるもはやかりそめの家族と化した集団の一部として全てを共有出来たような錯角を覚えていた。

残念ながら、個人個人と向き合ってゆっくりお話することはさすがに出来なかったけれど、また機会があるはずだ。


とてもハイセンスとは言えない『我々プロジェクト(ワレワレプロジェクト)』というネーミングのこの活動のスタート地点であり、一部として開催された今回のゼミだが、『我』がありき、そして『我々』という言葉には確かに真直ぐな指向性がある。

インターネットの普及が爆発的に進み、プライベートも仕事も『個』と『集合体』との線引きが曖昧になる程、現代の生活に浸透してきた。情報量は膨大になり、あらゆる立ち場の人間が対等に存在できる電脳空間が生まれた。
それ自体悪い事ではないと思うし、予想を上回るだろう可能性の拡大を感じずにいられない。

、、が、それらがあらゆるカタチをとって現実の世界に浸透し侵食し、破壊し再構築している中で育ってきた経済と流通という名の魔物が、ショッピングモールやワイドショーを例にあげるまでもなく、明らかに『我』の崩壊を助長もしてもいる。


『ワレ』


日本の未来、
ワタシの未来、
そして、こどもたちの未来。

そこかしこに在る全ての現実は自分に集約してくる。
今を全力で生きられない人間は、、むなしい。。


コントロールを失ったものは立ち返れ、
自分が立っているその場所は、どこだろうとかまわない。
『どう思い、どう感じたか』
表現する方法は、どうだろうとかまわない。
直接的に関わっている社会に対して、自分はどういう距離を保つのか?

それらはまるで共同体のようなフリをして巻き込んでくる。
しかし、間違えてはいけない。
僕と、あなたと、会社と、未来はすべて別であり、
そのつど都合良く乗り換えられるモノでは無い。

他人事に一喜一憂している暇があれば、今すぐその距離を計測せよ。
驚く程隣接していて、嘲笑われているのは自分だと気がつくだろう。


『我』の再構築は、『生きる力』を取り戻す事。
そして『我』の集合体である『我々』は、人間がいきいきと暮らす社会を形成する。
自体が迷える人格のような魔性を抱えて脈動している地域や会社組織や都市を構成しているのは他ならぬ自分。
であれば、『我』を再構築してゆくその過程自体が自立的であり、個々が尊重される社会へとつながってゆく。


そう考えると『我々』を取り戻すプロジェクト。
とてもいい。
posted by 農夫見習いパパ at 01:43| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月13日

ゆき

金沢に住んでいた約10年程の間、雪というもののイメージはぐしゃぐしゃで汚くて、融雪装置がめくらめっぽうに飛沫をまき散らし、そこをマナーの悪い車が吹き飛ばしながら走ってゆく。。
雪の兼六園や犀川や医王山や白山麓の遠景からの美しさや、流れゆく雲間の色や光の美しさには確かに心奪われる事が多々あったけれど、目の前に散らかる邪魔者でしかない雪には美しさは無かった。

山里にしんしんと降っているゆきは、、おそろしい程、うつくしい。
手にとっても、たとえ泥ごとスコップでめくろうとも、
ひとたび地に触れたらもう雪の勝ち。
勝ち誇ったものの堂々とした美しさ、儚く消えても潔い美しさ。

忘れ去った景色を心の奥底から呼び起こし、只冷え込むばかりの冬の力とは別の、なにかやさしい佇まいさえ見せる。




この冬は前の冬ほど穏やかではないだろうとの予測から、雪囲いも心の準備も防寒対策もしっかり備えている。けれど、12月に目立って積もらなかった事や、農作業の感を伝える地区の人々からは「今年も穏やかだろうねぇ、、」との声も。

でも降らない、積もらないというのも農作物の生育に害になる場合もある。
雪に埋もれる事で氷点下を防ぎ、土壌菌もわずかに活性する。
が、雪が無いと水不足の心配だけで無くて春先からの野菜全般の管理に響いてくるそうだ。。
とはいえ、10年前20年前、、もっと昔に比べても雪はどんどん減ってきているらしい。野菜の種も人の知恵もずうっと継がれてきたた中で、緩やかに、すこしづつ、自然と共に歩んできた。

ゆきのうつくしさはわすれてはいけない。

紅葉の美しさは、わざわざ名所で楽しむものではない。

新緑の美しさに目を奪われるばかりではなく、
そこに今年は無い色があるはず。それを見のがしてはいけない。

自然は悲鳴を上げている訳では無い。

涙を忘れてからだが泣いているのは人間のほうだ。


やさしく降り積もり、ときに、激しく吹雪き轟き、どさりとおもさをくわえて語りかける。


自然は厳しくなんかない。

歓びと力を得る術を忘れたのは人間のほうだ。



まちなかの融雪装置に人の業をみる。
わずか1日町の商業が動かない事を恐れる余り、ヒステリックなまでに数年越しの巨費を税金より引っ張り出し、その場しのぎの癖に負荷ばかり残す愚かしい事業を後押しする。
冬ごもりして困るのも人間がけれど、悪あがきしてあちこちを傷つけるのも人間。

、、そうして汚された雪も、新しく空から落ちる時は等しく美しい。
posted by 農夫見習いパパ at 23:20| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月01日

としのはじめに

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あけましておめでとうございます


昨年3月にオープン致しました神音カフェもおかげさまで年を越す事が出来ました。

遠方から足繁くこの神子原地区へお越し頂き、お引き立て頂きましたお客様にも、遠近に関わらずわざわざ訪ねて御来店いただきましたお客様にも、ほんとうに感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました!

まだ開業して1年も経っていないという事にふと驚く店主ですが、いたらないところばかりでお客様に御迷惑をおかけしていないか・・と不安で頭も体もいっぱいいっぱい。。およばずながら、本年はじっくりと課題に取り組みお客様にとってより心地よい時間を過ごしていただけますような空間とサービスを創造してゆきたいと思います。


なお、新年は1月の7日より通常の営業を再開いたします。8日は火曜日にて定休日です。御来店心よりお待ちしております♪


追伸:寒波に見舞われここ菅池町はぐっと冷え込んでいます。。各地でちらついた雪もここではまだ(すでに?)残っており、雪だるまが門松代わりに立っております!
これからどんどん雪が降り易い&積もり易い&のこり易い日々に向かってゆきますので御来店御予定のお客様はくれぐれも道中お気をつけ下さい。特に神音カフェのある菅池町の奥の方は坂道が多く、道も狭く、田んぼや畑との境もわかりにくくなります。さらに不安もありますので、無理にお越しくださらぬようお願い申し上げますm(__)m。


2008年 元旦

神音カフェ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
posted by 農夫見習いパパ at 10:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月21日

何故この場所に辿り着いたのか?冬の雷鳴を聞きながら思い出してみる。

「モラトリアム」なんて言葉、最近あまり耳にしないけれど、結婚して子供を授かっていよいよ本当の時計の針が動きだした気がする。
それはもう2度と戻らない、一方にしか進まない針。
ずううっとまっていた気がする。
心地よい緊張感が漂う。
子供が溢れるエネルギーを与えてくれる。
そして方向がはっきりした事がなによりの救いである。

永遠かと思われるような青春の悶々とした苦しみ、、いや、渾沌の中で、ルーツの薄い僕の生い立ちが抱え続けた闇を、人生の執行猶予から開放してくれた。


幼い頃父親が、(冗談か本気かわからないが、、)『将来なにになりたいかなんかわからんだろう?トンガに夏休みの間住んでみるのもいいぞ』とか『帰農』って言葉がある。日本人は農が家であって、そこにかえってゆくのはとても自然な事だよ。宮澤賢二も言ってるだろ?』なんて言ってたの覚えている。せいぜい小学生の頃だ。

六男(祖父)の次男である父親には継ぐべきものはなにもなかったし、その長男(僕)への人生の選択についても全くといっていいほど「放任」だった。それが苦しくもあったのだろうが、そうして話しの節々に顕われていた「自然」への志向が今頃になって僕に徐々に効いてきたのかも知れない。

よく岐阜の深い山の渓流釣に伴われてキャンプに行ったものだ。子供心にはわからなかったが、毎年毎年大自然のまっ直中に連れ出され、しかも親が釣をしている間ほおっておかれた。
今、父親は本業の傍ら鮎つりを通じての渓流保全〜しいては河口から海へと続く自然環境全体を意識した特定非営利法人を運営している。


中学生の頃だろうか?それとも美術の道に進み始めた高校生の頃かも知れない。いや、、もしかしたら大学に入ってからか、脳裏に焼き付いている事がある。
テレビか、授業か忘れたけれど、日本の農業に対して警鐘を鳴らすNHKの番組を観て、お米生産者の方が『人生が80年としても、私は50歳。今まで30回程お米を収穫したが、あと20回程かと思えば毎回が真剣勝負だ。いいものを作る、それは今目の前にある作業を如何に最善で行ってゆくかだ』というような発言をされていた。

お勤め人、お役人、毎月生活出来るだけのお金が振り込まれるサラリーマンはしかし、「会社」という不安定要素に人生を預けるという事でも在る。
父親自体が自営業であったし、農業が「自然」という不安定要素を相手にしながらもあくまで『腕ひとつ』でいきてゆくという『基盤が自分の側にある』と言う事がとてつもなく大きく重要な気がしていた。

もちろん会社に勤める、公職に勤める事にもとても重要かつ強い意思と取り組みが必要な事、社会性と共に個々の責任意識が大切である事は言うまでもないし、勤めていようともあくまで基盤は自分側にある事に違いはない。

が、先のいわば「擦り込み」都も言えそうな『自然回帰/日本回帰』的素地にあった少年時代の僕は、
20年後まんまと自然に向かっていった。

そして、父親が望んで、得られなかった『家族』という形を追い求めている。
posted by 農夫見習いパパ at 02:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月11日

冬支度

ほどなく雪が積もりはじめるであろう。
ここ数日は暖かく過ごし易かったのもあって、定休日を使って遅れていた冬支度を仕上げた。「雪囲い」である。『仕上げた』なんてまるで自分1人でやったみたいに聞こえるけど、実際はこの村のお父さんが8割かた進めてくださった。。去年の冬に切り出した直線でしっかりした竹をじっくり乾かして、アテ(能登ヒバ)の丸太を柱にして藁縄で結わえてゆく。葦簾を立て掛け、もう少し軽く細い竹で押さえる。水気が溜まり、重さもかかる下の方にはこもをあてて補強する。

倉から出してきた数年前にこのうちのおじいちゃんが作った葦簾やこもは横糸に白いナイロンのヒモが使ってあるが、それが意外に風化してもろく今年でもう使えないだろうが、葦の具合、なにより、丁寧で厚手、目の揃った「こも」は素晴らしく、横糸さえ丈夫ならばまだ数年使えただろう。。
冬場の3ヵ月ちょっとの事とはいえ、家の外壁や窓を守る意味で雪囲いは必須だ。この家が空家の頃はそれこそ波トタンで囲ってあったけれど、人が住んでいる家でそれではまるで廃屋みたいに見えてしまう。。丈夫ではあるだろうけれど。。
それで、面積の大きい家屋背面は横板10段はめて作る「雪囲い」を村の大工さんにお願いした。カフェであり、お店であるのでお客様の目に触れる前面は昔ながらのやりかたにこだわっておとうさんに御協力賜った。

素晴らしい出来。思わず眺めてしまううつくしさ。
お母さんの記憶もあやふやな6〜70年前の出来事。この家の構造となる黒々とした母屋の柱と梁を囲う「外屋(ぎや)」を補強構造にして立て直された。茅葺きを瓦に変え、外壁はその後何年かの内にトタンやセメントで補強された。
それで、この家の外観はその年代の築年数と共通する「普通の民家」。中に入って初めてその構造の古さに気がつく。
が、こうして自然素材で外壁補強すると古くからある価値がわかりやすくそこに顕われる。この菅池町で一世紀以上も変わらない眺めがそこにあり、僕もそこの一部でいられる。ほんとうに、この家は、素晴らしい。


この前の雪で急いでスタッドレスタイヤには変えたけれど、
今年の雪は激しいようだ。。ホンダの小型除雪機の購入を真面目に検討している。
神音カフェに御来店されるお客様にもたびたび『冬は(雪は)どうするのですか?』と尋ねられる。『酷い雪でも辿り着かれた方には必ず暖かいコーヒーをお出ししますよ。安心してください。ここは家で、私はここに住んでいますから』と冗談まじりにお答えしているが、どうなることやら、、


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

話は変わって御案内です、この神音カフェのお客様の一人で空間プロデューサーでもある横井幹雄さんの木工作品を展示販売始めます。自然にある美しさをそのまま生かしつつ、洗練されたバランスを空間に溶け込ませるその感性には本当に新鮮で心地よい驚きがあります。

以前からお取り扱いさせていただいている白山市の作家かんさんのみつろうそくに新作『芳香みつろうそく』と『2色らせんみつろうそく』『みつろうクリーム』が入荷いたしました。ひとつひとつに優しさが溢れる素晴らしい作品であり、深い癒しの日常品としてお勧めですよ。

そのかんさんは手づくり石鹸も出品されています。自然原料をとことん追求し、ここちよさと優しさを実現しています。

重複しますが、この地区にお住まいの谷口さんも女性ならではの感性で手づくり石鹸を出品されております。この方のせっけんもナチュラルで心地よい使用感を追求し、米ぬかやゴマという和風の素材にも挑戦しておられます。谷口さんは小さいお試しサイズも出品しておられます。  


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
          【営業のお知らせ】

年末は12月28日まで営業し、1月は7日から営業予定です。
なお、雪の具合が軽ければ、市の除雪が入るので神音カフェまでの道は走れます。が、不安でしたら一度お電話下さい。
0767ー26ー1128


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
posted by 農夫見習いパパ at 21:25| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月18日

すこしづつ

suirenkaeru.jpg

昔から台風が近づく時の気圧の揺れを体感できる風が好きだ。
窓をガタガタいわせ、いろんな湿った匂いを運んでくる。
小学校で台風の為に下校出来ず、待機していたあの独特の不安感。
薄暗い灰色のそらと、ぐるぐるかわる雲の動き。

児童文学「僕の真っ赤な丸木船」や「眠れなくなる本」なんかの、閉塞的でありながらどうしようもないくらい現実的な世界。

雷が鳴る時も、先日の地震の時も感じた事だけど、
この神音カフェの建物の重厚な母屋の骨組みは常に安心感を与えてくれる。崩れる時は崩れるし、火事ならば燃えてしまうだろうが、アパートに暮らしていた時の不安感とは比べ物にならない。
山が崩れるのを見ながら逃げまどうのと、実際足下が崩れたり、家の下敷きになる恐ろしさの緊急性の違いかもしれないけれど。。

稔りの田んぼを眺めながら、自然のチカラとそのあたたかさを感じている。


直売所もようやく軌道らしきものにのり、手放しではないにせよ地元の力が集まってまとまりつつある。運営にあたる(株)神子の里は愚直とも言われかねない程「地産地消」を実現している。

神音カフェも含めて『循環型』となれるにはまだまだ年数が必要だけれど、山の恵みをどんどん活用することは里山保全にも繋がる。
そうして日本らしい農耕文化の美しさを伝承していきたい。


ところで今さらと言われるかもしれないけれど、
「カフェっていいなぁ。。」と(照笑w
神子の里に設けたカフェカウンターとベンチでは、お買い物ついでのお客様と生産者、加工者、販売者が同じコーヒーを飲みながら談笑する。つくづく、この場所にコーヒーを持って来れて良かった。。と思う。

菅池町神音カフェ本店でもお客様同士のコミュニケーションや、お連れ様とくつろがれる姿を目にしてはいっそう「いいおもてなし」を目指そう!と燃え上がらせてくれるw


蒸し暑い日、寒い日、安定しないけど、自然は劇的に秋に向かっている。写真は一月も前だけど神音カフェ入り口の睡蓮鉢にいらした雨蛙。睡蓮鉢には黒めだか(日本めだか)やゲンゴロウ(勝手に住みついた)も同居。金沢からついてきたヤゴ達は今頃とんぼになって空を飛んでいるだろう。ちいさなビオトープ。
posted by 農夫見習いパパ at 02:03| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月22日

ただいま。

そういえば、ブログのタイトルは「準備室」としたままだ、、
これはそういえば1年程前にまだ見ぬ「神音カフェ」へ向かって緩やかに、じっくりと準備を重ねていた頃に始めたから。
まるで遠い昔の事のようでもあるけど、まだわずか1年前。
予定していた直売所の仕事もようやくスタート出来て、
3月にばたばたの中で開業した菅池町『神音カフェ』(casa神音とでもいうべきか、、)も再始動出来そうだ。

すっかりかかりきりになっていたせいで、神音のカフェスペースは掃除も行き届かず、あれ放題。。かろうじて動き続けていた焙煎室とオーブン周りを除いて徹底的に大掃除した。
これでもか!と高性能の掃除機も導入し、室内の快適性を追求して通気や除湿も。

。。ある意味常に準備してるから、ブログはその裏仕事を表してこのまま「準備室」でもいっかwと思ったり。。



殆どマイナス地点からのスタートと言っても過言ではない位、障壁の多い直売所開業ではあったけれど、運営者としての理念や思いをぶらさず、殺風景ではあるけれど、誇りとこれからの展望は大きく抱いている。
「地域が変わる」それは外側から出来る事ではない。
僕も、神音カフェとして、菅池町の武藤さんとして、この地域の未来を見据えている。いろいろな御意見やお言葉を一つ一つ大切に受け、上手に生かし、反映してゆく事で賑わっていきたい。
誰でもができる事ではないし、僕のような未熟者が安請け合いするべき事でも無い。けれど、(好奇心からでも)ここを気にかけて、応援してくれた多くの方々への恩返しの意味でも、この一連の活動を何年かけてでも結実させる。


すでに取材していただいた報道関係の方々、他県・他地域からの問い合わせ、、
神音カフェオープンからホント僅か5ヵ月の事だけど、これはあらゆる地域でも共通する問題を孕み、そこへ取り組んでいる事に価値を見い出してくれているからだと思う。

「我田引水」、、よくお百姓の精神を悪く言う言葉であるが、水(治水)は遥か昔から人間が・地域が直面し続けた課題。
例えそれがエゴの集まりだったにしても、どこかわからない外部へ大切な資源を投げ捨て、出所不明の非環境配慮の商品を取り入れるという行動へは向かわないと信じている。
その土地の者が力を合わせて土地の恵みを正しく享受し、そして土地へしかと返し続ける。。
それがコミュニティの原形であり、自然と共生するからこそバランスが取れている。

経済のうまい仕組みを取り入れながらも、不衛生な事はしない。
たとえ不器用だ、商売がなっていないとの批判を受けようとも、
地域の精神性は頑固だけがとりえではないのだ。

見えないけれど、確かにある。
そんな風景に宿る「神性」が。
そしてそれはありとあらゆる場所に。それぞれ。




===============================

【お知らせ】
神音カフェ(菅池町)を時間縮小ではありますが営業再開致します。

営業時間  PM1:30〜PM5:30
定休日   毎週 日曜日&火曜日
パンとカレーは不定期となりますが、産まれたての直売所の仕事にかかっておりますので御理解いただきますようお願い申し上げます。。

今後も神音カフェは「農家カフェ」としてこの土地に根ざしたスタイルで、自分達の出来る事をできる限り、商品とおもてなしの品質を第一に考えてまいります。
今しばらく、御利用いただきにくい形態を取らざるを得ませんが、直売所「神子の里」でこの土地の誇りとも言えるすばらしい農産物と共に、(紙カップの簡易式ですが)神音カフェのコーヒーとお菓子、パンも出品していますので合わせて御利用頂けますと幸いです。


店主


===============================



そうそう、梅雨の長雨は予想以上に農作物に悪影響を及ぼしている、、じゃがいもは腐り、トマトは病気にかかり、ナスは日照不足から実が太らない。ナス科には災難の年だ、、
そば、大豆、かぼちゃ類、今生育途中にある野菜が気掛かりだ。
直売でも品不足が深刻だけど、少量でも大事に(手間をかけて)育てられた山の野菜を是非食べてほしい。

posted by 農夫見習いパパ at 01:38| Comment(8) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月14日

Enagy

04.jpg

なにごともムキになりがちな僕。いいかげんにこなすくらいならまったく触れずにほおっておいてしまう。。ブログを作っておきながら全くアップしないなど、まさにその典型と言えよう。書き始めればうっとしいくらい書くのにね。


さてさて、、神音カフェはおかげさまで毎日賑やかに、満ち満ちた時間を重ねている。
今までお越しいただいた方、もうすでに何度も足を運んで頂いた方、本当にありがとうございます!
買いかぶるつもりは全くなかったし、自分でもこれほどのお客様に来て頂けるとは思っていなかった。広告らしい広告をどこにも出さず、ひっそりと始めたつもりだったのだけれど、新聞やテレビの影響というものの大きさに戸惑いつつ驚き、喜んで居る。

思えば『過疎集落に若い子育て世帯が入居してカフェをやる(予定)』という一文でまだ準備中のところへぽつぽつとお客さんがいらっしゃっていた2月後半。わざわざわかりにくくて看板もない所へ来て頂いてただ帰ってもらうのも心苦しく、保健所の認可が降りた3月1日(地域イベントの棚田のひな壇にもあわせて)にだましだまし開けてみたら、そっからノンストップ。。。

途中「わかりにくい!」「駐車場が狭い!」「看板出して!」とお叱りを受け続けながらもそれらの整備の為の時間も割けない程。。もちろん僕のいたらなさ、予測不足、勉強不足、経験不足、、などのいろいろな原因が大きいけれど、必死で取り組んでゆくその中でまさに「お客様に育てられて」店が出来てゆくのを感じた。


まだまだスタート地点にすぎないが、この土地の神聖なる空気と地域の皆さんの本当にまごころのこもった援助、どんどん増えてゆく、同士、友人(超歳の差!)、市役所の力強いサポート。エネルギーがどんどん流れ込んで来て、大きな力に支えられているのを強く感じる。

『地域の為』なんて大義名分を掲げてやっているわけではけしてなくて、この頂き物に感謝してこちらも出来る事、関われる事にお返ししてゆく。
すごく当たり前で気持ちのいい事。

神音カフェはこの土地「菅池町」の共有財産となり、羽咋市の、石川県の、日本の農村の、、どこにでもある忘れられかけている「たいせつなこと」をおもいだす小さなきっかけとなればうれしい。
posted by 農夫見習いパパ at 21:42| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月21日

神音カフェの夜更け

大変ながらくお待たせいたしました、、、
ようやく神音カフェの姿がまとまりつつあり、この集落へのお披露目も終え、いよいよ本格的なオープンまで秒読みとなった。

さて、かいつまんでお話しすると、今まで通り羽咋市神子原地区の直売所(道の駅)に入る事は決まっているが、その施設のオープンまで(7月予定)すこし間があるので、『自宅を農家カフェに』というかねてからの夢に先に取り組む事になった。

入居した家は築70年以上の入母屋作りのいわゆる古民家。母屋となる部分の構造部材(柱や梁)は70年前に奥能登にあった屋敷を解体してこの地「菅池町」に建て直されたもの。母屋をぐるっと取り囲む小部屋が構造を強固なものにしている。と同時に、気密性はかぎりなく低いが、多くの空間(空気の層)を介して環境をコントロールする優れものだ。

部屋数は12。そのうち囲炉裏のある広間をメイン客室に、横の入り口に近い間をテーブル席に改装した。あとの部屋は住居スペースと、農家民宿としての展望から宿泊用客間とする予定。
外観はそのまま「農家」。看板がなければ他の家と区別はつかないだろう。入り口横の小部屋はコーヒーの焙煎室。厨房はオープンキッチンでちいさなオーブンから、わずかながらの焼き菓子とパンを製造する。

メニューはこのブログで以前に紹介したものも日によっては登場するが、基本的には「地のもの」
「時期のもの」
「大切に作れる量」
が基本。

羽咋市在住の方でさえ「どこ?」と聞かれる立地だが、国道から脇道に入る事5分程のそれほど不便な土地ではない。が、低い山に囲まれ国道を通る車の音も全く聞こえずただ、森のざわめきと風の音が満ちている。
携帯電話は各社『圏外』である。
携帯電話になれた生活から考えるとまったく不自由だが、逆に着信音を聞かないで済むことは「神音」を聴くにふさわしいともいえる。強制的だが、確実に静寂が約束される谷間の集落である。


『過疎が進む農村集落へ若い新規就農者(しかも子育て)世帯が入居!!!』
というニュース性と、商売にまるで不向きに思われる立地にみなさま興味津々のご様子で、羽咋市内ではちょっとした有名人になってしまった。。

けれど、基本の考えは譲れない。
いわゆる「脱サラ開業」のくくりだけれど、僕にしてみれば『家』を探して『繋がり』を探して慎ましく生きたいだけ。
僕の生活の潤いが地域の潤いにつながれば、、

そう想ってここへ入ったが、羽咋市でもっとも高齢化が進むこの地域の想いと繋がる部分が恐ろしい程多い。引き寄せられるようにして、ここへ来て、そしてこのとちの人々も全身で歓迎してくれる。

幸せをかみしめている。

そして、親に自立した姿を見せたい欲求と似た感覚で、この土地の親と祖先たちに僕の行く末を見守って頂きたい。
神棚を新しくあげ、神主さんに神様を降ろして頂いた。

すきま風もあるけれど、身震いしながらも気を据える。そんな襟をただしてくれる環境を僕は求めていた。
posted by 農夫見習いパパ at 17:51| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月02日

仮想水

kasousui.jpg

健康志向によってミネラルを補給する意味合いだったり、または味のこだわりだったり、、色々な理由で『水』を購入する人は多いだろう。かく言う僕も「○○○アルプスの天然水」を結構飲む。やわらかくていつでも安定して美味しいから。しかし、あれだけ全国で販売される有名商品である。
水源はもともとその土地を潤し保つ為に無くてはならないものだ。
食品材料(酒など)に使われる量はまだ深刻な程ではないだろうが、『売る程』あるものでは無いはずである。自分に「余り買ってはいけないよ」と声掛している。。

輸入食品、それは肉でも野菜でも「水」を使って作られるが、その背景の水を『仮想水』と呼ぶ。
肉牛1頭を育てるのに必要な水、飼料の穀物を育てる為に汲み上げられる地下水。。実に膨大な水を輸入していることになる。当然食品加工に使われ廃棄される水の汚染や、工業生産で使われる水も同じく膨大な量である。

日本は「水が豊かな国」のイメージがあるが、実際の日本人の生活では食料輸入率の高さがそのまま「水」の輸入の多さとなり、一人当りの使用量も物凄いものとなる。

『どれだけでもあるからいいや』という意識が多かれ少なかれわれわれ消費者の内にあり、加えて「健康」や「エコ」を謳う商業的情報操作に踊らされながらがんがん消費する。。

その背景では飲料メーカーの心無き資源の消費、海外企業も飲料加工用に日本の水をあてにしているという。すでに先進各国で水不足はすすんでいるのだ。

水道水が安全に飲める、節水型の家電製品、水源の保全、、それらはもちろん成果としてあるが、もっと根深い日常の生活にその意識が無いと、『持続』は不可能であるばかりか、破壊が癌のように進行するのを助長してしまうだろう。すでに小手先で戻れる場所では無いと思う。

身土不二というキーワードは「地産地消」を通じてさらに環境保全維持に繋がる大切な意識になると思う。
土地の水を飲む。水道水を上手に活用する。『仮想水』を意識して『フードマイル』と共になるべく値の小さなものをえらぶ。できる事から。
posted by 農夫見習いパパ at 14:36| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月25日

生活様式

muginoho1.jpgblueberry.jpgcherry5.jpg

食の国際化という事もあるだろうが、文化や習慣というものは時代と共に変ってゆくものだ。とはいえ、それが多くの部分を「無意識の消費行動」に影響されている事はあまり自覚されない。

日本国民の小麦食(パンやパスタなどの洋食)が伸び、米の消費が釣られて下がる。それはここ何十年の外国との経済交差、情報外交、豊かさの追求などの活動により引き起こされたものだろう。しかし、もう少し長いグラフをおこしてみると、米の消費は100年以上前は今よりもっと少ない。データでは読み取れないがいわば『流通』しないで自己消費していた部分が大きいのである。

食料の自給が当たり前としてあった時代の方が断然長いのだ。
それが今や30数%。。。その不安を自覚する人は少ないといわざるを得ない。


食文化の変化はけして悪い事ではない。それによって豊かになった食の世界は、精神の豊かさや、経済の発展に多くの好影響ももたらす。
日常の『生活様式』の変化で小麦食が増えた事は、米以外の雑穀や麦を食していた昔の日本の良さの再現にも繋がりうる良い切っ掛けだ。
発酵食を基本に据えた食事という視点では、発酵食品である『パン』は実に面白い。現代日本人はパン無しの生活は考えられないだろう。それ程日用必需食品になっている。
にも関わらず、米にも共通して言えるが、その『質』に対してあまりに無頓着である。

生活習慣病の原因の一つにパン食による、高脂肪、高タンパク、糖分過多などが言われたりするが、それが端的に指しているのはいわば「大量流通されるコンビニパン」であり、「食味と品質の安定」を求めた結果、多くの加工油脂や糖質、化学添加物のリミットを超えた『商品』が市場を牽引しているからだ。

実際家庭で無脂肪、糖類微少で最高に美味しいパンが作れる事を知れば、このような『危険』なパンは口にしなくなるだろう。

小麦について言えば輸入小麦に使われるポストハーベストの害(アレルギーを引き起こす要因の一つと言われる事もある)とリスク、食品としての不透明性を考えれば、国産で経歴の確認出来るものの価値の高さ、食品としての食味の高さが浮き彫りになるだろう。当然国内食料自給率向上の要ともなる。

お金で買える価値、その本当の価値を知って、なおかつそれを持続経済へとつなげる。山彦はとても大きく大切な取り組みに全力を注ぎます。
posted by 農夫見習いパパ at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月09日

デザイン

Blue film web.jpg

どういう土地にあり、どういう建物で、どんな内装か?とことんこだわるつもり。
土地はもう決まっている。建物は「地域農事組合法人」の複合施設となるのである程度のアウトラインは決まっている。しかし、実際はあらゆるシュミレーションを基に推敲を重ねなければならないだろう。
必要とされる「機能、動線、効率、バランス、、」どんな施設も短期サイクルでは容易に変更出来ないし、一度『器』が出来上がれば、少なくとも数年
は(不都合があっても)工夫しながら使ってゆくほかない。
慎重には、慎重をかさねる。

内装は「くつろぎ」とか「ふんいき」を伝えるのみではいけない。
どんな飲食店/小売店形態の成功例にあわせたとて、中に入るのは僕なのだ。
僕が自分を知り、自分にあわせて、自分を生かす。
そのデザインを。


雑誌や、実店鋪をみて廻れば、実にいろんな刺激を受けられる。
『心』が入った『うつわ』は『生きて』いる事がわかる。
そうでない『うつわ』はただ、むなしい。

花瓶の花ひとつ、
鉢植えの木、
飾り棚にあるもの、
店内で目につくあらゆる備品、
目につく食材。。

背景なければ、無い方がいい。

シンプルを伝える、シンプルさをめざす。
posted by 農夫見習いパパ at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月22日

オーガニック

3才になる息子、生まれてから2才くらいまでだっただろうか、、各種アレルギーが発症して辛かった。
子供のカラダのアンバランスの原因は親の食生活ではないか?と思う事もあったので、罪悪感と共に、自分もクリーンな状態を目指したいと強く思うようになった。
もともと僕の親が「化学調味料」「保存料」「着色料」のようなケミカルなものを嫌っている中で育ったので、それらを除去する生活はさして苦痛ではなかった。(今あらためて実家に帰ると、全然こだわりの無い食卓に少々驚くが、、)
子供のアレルギー反応食品を除去し、動物性の脂肪も相当落とし、野菜や油の類いは極力国産、オーガニック、低農薬を探した。
なかなか、不便である。そのころ家庭菜園もノって来ていてそこから無農薬、低肥料の野菜をとる事が出来はじめていたが、一般的な外食は殆どNG。
しかし、、限られた食の中からみえてきた『豊かさ』が確かにあった。
当たり前すぎて日本の殆どの家庭で失われつつある感覚ではないだろうか?
国産の大豆で味噌を仕込む。一年で消費する量をはかり、野菜を植え付ける。保存方法をいろいろ工夫する。畑でハーブを育てると、高いばかりで鮮度の低いスパイスを買わなくて本格的な欧風料理が楽しめる。季節を五感で感じながら健康である事に感謝できる。
「めんどくさい」どころか楽しいのだ。いや、楽しんで取り入れる事に成功したと言えるかも知れない。
世の中では今、オーガニックにヨガ、マクロビにエコ、ロハスという消費を求める声が高まりつつある。
しかし、考える根底に「消費」の仕組みを取り入れてみたい。
経済のしくみの中で『持続的』という項目を基本コンセプトとすると、どこかに負担をかけないで循環できるスタイルを追求出来そうな気がするからだ。
その昔、農村部にあった『ほんとうにゆたかなくらし』を夢見て。
posted by 農夫見習いパパ at 01:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月20日

熱量

garic.jpg

季節には路地であたりまえに採れる野菜も「抑制や促進栽培」で環境をつくり出し年中流通している。
しかし、誰もが知るように、季節外れの野菜に「旨味」は無い。
そしてもっと注意すべきは、その野菜がどこからどうやって運ばれてきたか?でもある。トラックで何10何100キロ、下手をすると地球のうらがわから来てることさえ。。
ということは、それだけ天然有限資源である石油を消費し、大気を汚染しつつそこまで辿りついた訳だ。それで値段が高いならともかく、とんでもなくディスカウントされていたりする。

いったい、その野菜を作った農家は幾らの現金収入を得ているのだろう?
1個二足三文で、大事に育てた野菜を売るのはどんな気分なのか?
生活の為?そして、『流通』と言う名の支配者が商品価値を勝手に決め、売り物にならないものは廃棄されてしまったりも。。まるで奴隷制度。
はっきり言って、それを意識もせず消費し続ける消費者も共犯である。
市場が潤う事で、醜く肥えてゆくのは一部の者のみ。
、、きっと一番怖いのは、カラダとココロを育てる『食』をどんどん「モノ化」していって、文化や知恵を破壊してしまう事。


『フードマイルを縮めよう!』という運動がある。なるべく近くで作られた食物を選んで口にするという事。マイルゼロは自給自足。歩きや、自転車、その他環境に優しい運搬手段をとれば、なお好いが、現実ではまだ理想論だろう。
posted by 農夫見習いパパ at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月09日

神のおと

kanon cafe-2.jpg

2007年6月。石川県羽咋市神子原(ミコハラ)地区。農産直売を主軸とした施設がオープンする。僕が販売管理、施設管理全般をまとめ、販売所を魅力あふれる人の集まる場所にすべく、企画することになった。
販売所の一角、kanon cafeは土地の素材を使った軽い食べ物も出す交流の場。『農』と『文化』を繋ぎ、土地の力を盛り上げ、100年200年先をみわたす。生産者と消費者が直にふれあう。たいせつに食物をいただく。環境を考え、今出来る事からとりかかる。当たり前の事をもっと発信する事がテーマになる。

音楽に関わる仕事3年、コーヒー専門店での修行5年。
一貫して「販売のよろこび」「つくるよろこび」「つたわるよろこび」があった。多くの人が集まり交流する空間を提供し、いわば通訳の役目を果し、価値のあるものを求めるひとにちゃんと手渡す。
作り手は誇りとよろこびを得る。買い手も感謝とよろこびを得る。
ほんとうの共生と、意識の変革がこれからの課題である。

ちいさな音に耳を澄ますと、心があらわれるような、目の醒めるような気持ちになる事がある。それは、色やにおい、人との関わりでもある。
自分が今おかれている環境、押しながされていく毎日に、ちいさな疑問。
「やおろずの神」が知らせてくれる、貴重なきっかけ。
日本のこころは、どこにある?

mikohara1/web.jpg
posted by 農夫見習いパパ at 14:50| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。