2008年02月07日

民具

玄関の戸は3重になっている。外屋といい、外気を空間で調整する賢い仕組みだ。
昔読んだ「注文の多い料理店」を思い出す。そういえば、神音カフェも今の御時世にしては「注文が多い」ような気がする(苦笑)。。

ところが外側のアルミ格子戸と部屋の戸の間の、上がり框の戸が無かった。引っ越し当時(去年の今頃)はじいちゃんばあちゃんが住んでいたままの状態で、入り口の部屋(多分昔は土間だった)の戸は気密性のいいアルミサッシに変えられていた。が、お店にするにはあまりにも不粋だという事で、サッシを外して他の部屋の木製の戸を代わりに当てた。

アルミ戸を4枚減らして住居スペースの分をあてがっても厨房スペースなどカフェ用の間取りにするにはかえって都合が良かったし、雰囲気がぐっとよくなった。
が、その上がり框の前の戸は他の戸よりも丈が長く、代用がきかない。。家の中や納屋を探しても見当たらない、、
ガラスが割れたり痛んだくらいで昔の人は家の部品を処分したりはしない。直せば使えるのだし、どこかに在るはずだとは思っていたが、1年越しでとうとう探し当てる事が出来た。

なんと、米蔵の奥。

米蔵は現在もお父さんの米が入っている。お父さんはこまめに空気を入れ替えながらも米を出したり漬け物桶を前室に運び込んだりいつも出入りしているので気が付きそうなものだが、灯台元暗し。
実際蔵に灯りがないのでお父さんはヘッドライトをつけては入っている。
この前何かの用事でお母さんと蔵に入った時に発見。

それで、お父さんと話しながら戸を取り出していると、これも引っ越し当時頑張って探していて結局見つからず自分で製作するに至ってしまった『炉縁(床縁)』いわゆる、いろりの枠も2種類発見!

何故2種類か?というと、ひとつはこたつ用の格子の付いた台が固定出来る作りになったものと、通常のシンプルな枠と。

他にも昔外屋を改装した時に外したと思われる窓枠などまさに
『お宝蔵出し』状態。
只眠らせて朽ちさせてゆくよりはと、木桶等他にも使えそうなものも出しておいた。
お母さん曰く、「使わない戸は、マメや麦や米なんかの手作業で散らばる作業の脱穀の時などに『囲い』として使ってた」そうだ。
米蔵に置いてあったのもうなずける。

こうしたいわゆる民具というものは昔ながらの職人の確かな技と、長く使えるという耐久性を備えていて、戸大工さんの仕事としても今ではとても高価になってしまうような丁寧なつくりのモノが多い。

綺麗に拭いて暫く使えばまた艶を取り戻して実用によし、気持ちを満たしてくれてなお心地よい。



モノの価値の定義は様々だろうと思うが、
『用の美』という、使われるもの、使い続けられるもの、すなわち長期的に見てシンプルで使い易く人に馴染む。そこに美しさが在るというのは確かだろう。

目の前から「使いにくい」という偏見とステレオタイプと経済の旨い罠(現代的、経済的とかなんとかいう文言)で次々とつまらない工業製品にとって変わられ姿をけしてゆく『民具』たち、、

また骨董ばかりに価値があるのではない。「お宝鑑定団」や「劇的ビフオアアフター」「お宅訪問」、そして伝統工芸なる中途半端な芸術主義が生活の中の工芸を追放し、価値を知らない中古品業者やオーダーメイドのフリをした企画商品を見抜けない消費者によって微妙で貴重な立ち位置だった『場所と人に反応する有機的な価値観』の総体が切り捨てられてしまったのかもしれない。

「そのひと、その場所、その暮らし方に用を足す」民具。
モノの価値は限り無く個別の生活に密着しているにも関わらず、
判断と感性を鈍らせる情報と経済にまんまと毒されて、それでも人と違う不安に弱い日本人は現代のジャンク企画品が大好きである。

奇しくもカード会社のCMのキャッチフレーズに「その価値、プライスレス」なんてのがあった。プライスレスに囲まれる暮らしは最上だろう。



木桶の竹製の『たが』を絞める職人、戸大工さんに、大工さん、左官屋さんに、金物屋。。。これらの職業のそのままの復興は無理にせよ、現代的な感性をもちつつ、能登の昔ながらの暮らしを伝える民具をリペアして生活に戻してゆくような職人で商人さん(もしくは技術の高い作家さん)がこの地区に入ってくれれば、その価値を朽ちさせることなく伝えられるのになぁ、、と心から思う。
posted by 農夫見習いパパ at 09:43| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
武藤さん こんばんわ 
自分の価値観って、ものすごく影響受けやすいし
何をよりどころにすればいいのか、わからなく
なたりします。そんなとき歴史あるものと向かい 
合うと、自分の尺度に気づくことがあります。

神音カフェは、その空間として最高でした。

プライムレスの価値感探しにまた伺いますね。
Posted by ぐっち at 2008年02月10日 22:16
>ぐっちさま
コメントありがとうございます。
ユビキタス社会なんて横文字もありますけれど、原初のキリスト教や仏教、ケルトや倭の國の神々に共通する『神性の遍在』(精霊やインドの神々、八百万の神、、)あまねく世界のありとあらゆる所に過去にも未来にも存在するなにか。。
とかく情報に偏りがちですが、あくまで『遍在』であり、『偏在』では意味がないですよね。。

現代社会はむしろ大きな偏りを生み出していると思います。

揺らぎつつもひたすら静かで圧倒的な存在感。
そういうものが自然に接し、そこで生活を重ねてゆくとおのずと感性全体をとおして授かるといいますか、、一歩間違えると宗教というレッテルを張られるかもしれませんが(苦笑)、『いきる』と言う事の根源的なエネルギーが溢れかえる場所。それを享受し続ける為に求められる事は結構ハードですが、日々歓びに満ちています。

「歴史は勝者が作るもの」とも言われますが、ほんとうの歴史は土地に、モノに、人に宿るとてもパーソナルでかつ普遍的なものだと思います。
Posted by 農夫見習いパパ at 2008年02月12日 11:44
マスター誕生日オメ
益々年齢不詳の、いいかんじのオヤジになっていって下さい。

最近まめに更新されていますね、また次を楽しみにしていますので頑張ってください。
Posted by 001番 at 2008年02月14日 20:09
>001番さま
いつもありがとうございます。年齢不詳と言えば、001番さんのことじゃないですか(笑!)
いやいや、、いつも良い刺激を与えて下さり、こちらが楽しい時間を過ごさせていただいております。
神音カフェにお越し下さる方はなにか新しい風をもたらして下さる。私はこの店の中に居ながらにしてあたかも広い世界を経験したような錯角を楽しむ事が出来ます。贅沢だなぁ、、
御来店いつでもおまちしていますね。

お互いにイイ感じの(こだわりを譲らないいい意味で頑固)オヤジを目指しましょうね♪
Posted by 農夫見習いパパ at 2008年02月14日 21:16
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