2008年02月04日

我の緩慢なる崩壊と再生

とても長い一日だった。
しかし、もっと長くてもいいと思えた。
集まった方々は年齢も属する場所も実に様々、「神音ゼミ」と銘うって『ヒトゴトヲジブンゴトニ』をテーマにそれぞれ思いつくままに話し、問いかけ、交流した。
主催の川口氏がパーソナリティとなり、まるでラジヲの進行のように合間に素晴らしい音楽を挿みながらの、とても滑らかで心地よい時間だった。

僕といえば22名の食事と絶えまなくコーヒーを抽出する事に完全に手が塞がっていたにも関わらず、この場所の、この家の、この屋根の下にいるもはやかりそめの家族と化した集団の一部として全てを共有出来たような錯角を覚えていた。

残念ながら、個人個人と向き合ってゆっくりお話することはさすがに出来なかったけれど、また機会があるはずだ。


とてもハイセンスとは言えない『我々プロジェクト(ワレワレプロジェクト)』というネーミングのこの活動のスタート地点であり、一部として開催された今回のゼミだが、『我』がありき、そして『我々』という言葉には確かに真直ぐな指向性がある。

インターネットの普及が爆発的に進み、プライベートも仕事も『個』と『集合体』との線引きが曖昧になる程、現代の生活に浸透してきた。情報量は膨大になり、あらゆる立ち場の人間が対等に存在できる電脳空間が生まれた。
それ自体悪い事ではないと思うし、予想を上回るだろう可能性の拡大を感じずにいられない。

、、が、それらがあらゆるカタチをとって現実の世界に浸透し侵食し、破壊し再構築している中で育ってきた経済と流通という名の魔物が、ショッピングモールやワイドショーを例にあげるまでもなく、明らかに『我』の崩壊を助長もしてもいる。


『ワレ』


日本の未来、
ワタシの未来、
そして、こどもたちの未来。

そこかしこに在る全ての現実は自分に集約してくる。
今を全力で生きられない人間は、、むなしい。。


コントロールを失ったものは立ち返れ、
自分が立っているその場所は、どこだろうとかまわない。
『どう思い、どう感じたか』
表現する方法は、どうだろうとかまわない。
直接的に関わっている社会に対して、自分はどういう距離を保つのか?

それらはまるで共同体のようなフリをして巻き込んでくる。
しかし、間違えてはいけない。
僕と、あなたと、会社と、未来はすべて別であり、
そのつど都合良く乗り換えられるモノでは無い。

他人事に一喜一憂している暇があれば、今すぐその距離を計測せよ。
驚く程隣接していて、嘲笑われているのは自分だと気がつくだろう。


『我』の再構築は、『生きる力』を取り戻す事。
そして『我』の集合体である『我々』は、人間がいきいきと暮らす社会を形成する。
自体が迷える人格のような魔性を抱えて脈動している地域や会社組織や都市を構成しているのは他ならぬ自分。
であれば、『我』を再構築してゆくその過程自体が自立的であり、個々が尊重される社会へとつながってゆく。


そう考えると『我々』を取り戻すプロジェクト。
とてもいい。
posted by 農夫見習いパパ at 01:43| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お疲れ様でした。
美味しいごちそうと、空間と時間を
ありがとうございました。
奥様と、お母様にも、本当に感謝してます。
Posted by けいこ at 2008年02月04日 22:35
2日は本当にお世話になりました。貸し切りだと知らずにいらっしゃった何組ものお客様に丁寧に対応されている姿に「ごめんなさい」と心の中でつぶやきながらも、場所と人の心地よさに浸らせていただいた贅沢な時間でした。
でも22名のやりくりは本当に大変でしたね。ありがとう。
「新しいお客さんがいらっしゃる度に、毎回気持ちを切り替えて、ようこそという気持ちを新しくしています。今日はその気持ちの切り替えがないから、ある意味楽ですね。」という一言、そして携帯不通、時計が無いから時間も意識しないという日常の当たり前をあえて隔離した空間、そしてあの古民家カフェの持つ家の力、それらの何と贅沢で居心地が良いことか。
大家さんのお母さんもますますファンになりました。
またやりましょうね。もちろんライブも一緒に。
武藤さん。もうすぐ誕生日ですね。私はその誕生日に武藤さんとの運命的な出会いを感じました。私の人生の師匠、南こうせつさんと同じ日ですね。もしかしてAB型?
Posted by ぐっち at 2008年02月04日 22:43
>けいこさま
ようこそ!こちらこそありがとうございました♪

「ようこそ!」「ようきなさった!」「きのどくなぁ、、」私は岐阜人のくせに大学に入るともっとも交流が多かった関西弁に染まり、いまでは菅池町なまりに染まってきて国籍不明になってますw

この土地にすむようになってわかりかけてきた事、、
能登に何代も住み続けた血族に(嫁も神音の母も)入れて貰うための作法、そういうものが存在します。言葉や形式ではなく、心の持ち方というか、、
歩み寄りでもあり、人間どうし付き合いの基本となる謙虚さや尊敬の心、封建的な空気の利点、、
『年輩者、先輩、行政を立てる』ということが結果的に自分を助ける。農業を主としたゆ〜っくりした長期的な視点の日本の農村のリズムでしょうね。

私もまだまだビギナー。菅池町民として認めてもらう為、日々努力してます。
Posted by 農夫見習いパパ at 2008年02月05日 10:26
>ぐっちさま
ほんとうに有難うございました!そしてお気遣いありがとうございますm(__)m。
自分自身ほんとうに「贅沢だなぁ、、恵まれてるなぁ、、」と日々感じておりますので、お客様にそのように言われると『いいのかなぁ?!』ちょっと不安になります(苦笑)
ですが、大きな励みでもあり、この価値を共有していただける感性が共通のものである事を知る度に誇らしく、また精進したく気が引き締まります!
『人が主役』の空間。
インターネットも携帯電話も移動スケジュールも人を自由にしているようで反面、拘束もしていますね。そのなかで本当の意味での『個、我』を取り戻して自然から力を受け取って混乱に対抗する。人間が帰る場所は『家』で出発するのも『家』。『家のチカラ』を掴む空間です。
もちろん『家』は具体的、特定的なものではありません。地域あってこその存在ですし、引き延ばしていけば国あってこそ。でももっとも核となる『ホーム』を失いかけているのが現代の日本のような気がします。それでは充電できませんよね。

こちらこそ!よろしくお願いいたします!!
Posted by 農夫みならいパパ at 2008年02月05日 10:49
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