2007年12月21日

何故この場所に辿り着いたのか?冬の雷鳴を聞きながら思い出してみる。

「モラトリアム」なんて言葉、最近あまり耳にしないけれど、結婚して子供を授かっていよいよ本当の時計の針が動きだした気がする。
それはもう2度と戻らない、一方にしか進まない針。
ずううっとまっていた気がする。
心地よい緊張感が漂う。
子供が溢れるエネルギーを与えてくれる。
そして方向がはっきりした事がなによりの救いである。

永遠かと思われるような青春の悶々とした苦しみ、、いや、渾沌の中で、ルーツの薄い僕の生い立ちが抱え続けた闇を、人生の執行猶予から開放してくれた。


幼い頃父親が、(冗談か本気かわからないが、、)『将来なにになりたいかなんかわからんだろう?トンガに夏休みの間住んでみるのもいいぞ』とか『帰農』って言葉がある。日本人は農が家であって、そこにかえってゆくのはとても自然な事だよ。宮澤賢二も言ってるだろ?』なんて言ってたの覚えている。せいぜい小学生の頃だ。

六男(祖父)の次男である父親には継ぐべきものはなにもなかったし、その長男(僕)への人生の選択についても全くといっていいほど「放任」だった。それが苦しくもあったのだろうが、そうして話しの節々に顕われていた「自然」への志向が今頃になって僕に徐々に効いてきたのかも知れない。

よく岐阜の深い山の渓流釣に伴われてキャンプに行ったものだ。子供心にはわからなかったが、毎年毎年大自然のまっ直中に連れ出され、しかも親が釣をしている間ほおっておかれた。
今、父親は本業の傍ら鮎つりを通じての渓流保全〜しいては河口から海へと続く自然環境全体を意識した特定非営利法人を運営している。


中学生の頃だろうか?それとも美術の道に進み始めた高校生の頃かも知れない。いや、、もしかしたら大学に入ってからか、脳裏に焼き付いている事がある。
テレビか、授業か忘れたけれど、日本の農業に対して警鐘を鳴らすNHKの番組を観て、お米生産者の方が『人生が80年としても、私は50歳。今まで30回程お米を収穫したが、あと20回程かと思えば毎回が真剣勝負だ。いいものを作る、それは今目の前にある作業を如何に最善で行ってゆくかだ』というような発言をされていた。

お勤め人、お役人、毎月生活出来るだけのお金が振り込まれるサラリーマンはしかし、「会社」という不安定要素に人生を預けるという事でも在る。
父親自体が自営業であったし、農業が「自然」という不安定要素を相手にしながらもあくまで『腕ひとつ』でいきてゆくという『基盤が自分の側にある』と言う事がとてつもなく大きく重要な気がしていた。

もちろん会社に勤める、公職に勤める事にもとても重要かつ強い意思と取り組みが必要な事、社会性と共に個々の責任意識が大切である事は言うまでもないし、勤めていようともあくまで基盤は自分側にある事に違いはない。

が、先のいわば「擦り込み」都も言えそうな『自然回帰/日本回帰』的素地にあった少年時代の僕は、
20年後まんまと自然に向かっていった。

そして、父親が望んで、得られなかった『家族』という形を追い求めている。
posted by 農夫見習いパパ at 02:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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