2006年09月14日

Back ground music

音楽がもつ力というものを感じて、ゆえに音楽を愛してやまない人は実に多いと思う。その場にいる人を共に包み込み、高揚させ、また和ませもする。

僕自身、無類の音楽好きで、どんなジャンルであろうともとにかく音楽を純粋に愛する人には強い共感を覚えてしまう。好きが高じてレコード屋に就職したり、アマチュアバンドに興じたりしたくらいだし、いまだにその熱は冷める事が無い。

有線というものが嫌いだ。当然、ヒットチャートやランキングも馬鹿げていると思う。音楽販売業にいたからこそ感じた「商業的背景」のいやらしさや、したたかさ、本質を紛らす多くの広告手法など、、『音楽』が持つ芸術性や多様性を損ないかねない業界の在り方に疑問を感じている。

事実、かつてインディペンデントと言われた「零細/趣味的」音楽発信がいまやブランド化し、確固たる商業基盤を持ってしまった。
もはや「独立系」なる本来の意味は全くといっていい程失われている。それは芸術としての作品としての独創性、価値を損なう流れでもあるし、本当の意味でのマイノリティを排除してしまう恐れもある。(情報毒)

ただし、ここのところ台頭してきている「ネット配信」の中にはかつてのインディの精神を生かすものも出てきているし、i-tuneなどのライブラリ機能は音楽愛好家にとってとても好ましく、音楽をあまねく人が楽しむという有意義で大きな価値を産み出している。
求める人に、求めるものが行き渡る。しかも商業的かき混ぜ無しに。
(そこにもgoogleを指すような巨大ビジネスが背景にあるが、その有用性。使いこなす事が出来れば本当に意義深い発展と言えると思う)


僕の音楽の好みはおとなしい。(ト思う。)昔から同じ空間で友人たちと分かちあう音楽を好んできたから、友達や交流が広がる程に、多種多様なジャンルの音楽をセレクト出来るようになってきたと思う。
いわゆるBGM=Back ground musicとは、邪魔になってはいけないけれど、確かに響くべき音楽なのだ。有線などが垂れ流すノーフェイスセレクトはいわば「騒音」「雑音」にすぎず、仮に同じ音楽をかけたとしても意味合いが異なる。

音楽を選ぶ人が居てはじめて、その人の気持ちが入った空間になる。
つまり、その選者の顔が見えてこその空間音楽だと考えるのだ。

日本は食事やショッピングにも有線などの音楽の垂れ流し、混ざりあいが多く、音楽へのリスぺクトが低い国のように思える。携帯の着うたなど際たる例だ。コンビニでもテレビでも質の低い音楽が垂れ流され、市民も疑いなく受入れている。そこへ産まれるマーケットもまた罪深いものだと言っておこう。
音楽を選び、自分の為に聴く。仲間と楽しむ。空間を共有する。たいせつに。

posted by 農夫見習いパパ at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | カフェ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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