2010年06月24日

農法とくらし

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反省したなまくら農夫は、苦手な「育苗や鉢植え」を克服するべく、春先から畑に心を注いでいた。
そして、冬越しのエンドウやソラマメ、たまねぎ、大蒜の育ちはぼちぼちなものの、ちいさな育苗用(防寒)テントをこさえて、トマトにバジル、ズッキーニ、インゲン、ナス、ミニきゅうり(ピクルス用)、雪化粧かぼちゃをすべて種から育苗し、それぞれの畑に植え付け、活着し、今の所順調!

鉢植えも堆肥を活用しつつ、あさがお、るこう草、千成ひょうたんに、お客様から頂いた藤の幼苗、黒法師の鉢を手入れ。

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じゃがいも、サツマイモもいい感じ、ジャガイモの試し掘りもよさげ。

そして、金沢からつれてきてずうっとしょんぼりだった、瑠璃玉アザミは株を広げ、ドライオレガノ作りも順調。
こぼれ種のカモミールとディルは力強く広がり、韮とねぎの種まき後の生育も順調。

、、なんだ、やればできるじゃん!

といい気になるのはまだ早い。
そのうち生い茂る雑草と、夏の暑さに悲鳴を上げて万歳しちゃうかも。。
只単に、この丸3年、この土地の自然の移り変わりと畑の土の様子をみながら「タイミングがなんとなく体に染み付いてきた」ただそれだけのことかもしれない。

化成肥料を使うことには抵抗があったけれど、畑それぞれの土の状態と、適正がなんとなくわかるような気がするこのごろは、ごく微量ずつ補うように試している。
それは、ゆくゆくちゃんとした堆肥やボカシ肥が作れるようになったら置き換えて行きたい。

農家見習いは、この町のばあちゃん達の見事な輪作と種取、土捌きにようやく一歩だけ近づけたような気がする。

ばあちゃんたちはもともと出荷が目的では無い。
それは生きる糧、そして心の糧、先祖への感謝、、そんな見えない「くらしのこころ」があふれた営み。

自然農法、不耕起栽培、無農薬、有機栽培、水耕栽培に、施設園芸。
土地利用型大規模農業と、家庭菜園。

趣味的な、時間とコストの浪費的な家庭菜園は「しょせん」といって馬鹿にされたりするが、土と植物を何年もかけてちまちまと観察することは営業農家、専業農家には生活との秤の上で難しい面が多いのも確か。

りんご農家の木村秋則さんの苦節の10年。
その道を目指す人は必ずそこを通らなければならない。
近道なんて無い。

だけど僕だって、コーヒー屋を、カフェを目指して10年以上経っているし、実現した今もたかだかスタート地点に立てたにすぎない。

家庭菜園も8年目。無農薬で、ほったらかしで。農家出身ではなく。
でもそれは多分これから一生つづける営み。
趣味ではなく。


収益性があるかどうかは継続にはとても重要な要素だけれど、
「農家である」ということの生命力の原点をこの土地に感じた僕は、
農業というものの世間一般の先入観から遠いところに、
満ち満ちた「くらしの密度」としての生きた農家の姿があると確信している。
それは倦厭されたり、卑下されたり、自己満足とやっつけ仕事の工場生産ではない、高い精神性をもった「憧れられる」営みである。

菜園 008.jpg菜園 006.jpg画像 112.jpg

これらはすべてこの家の廻りに大した世話をするでもなく毎年花を咲かせてくれている古い株のもの。

8年前から毎年僕の野良仕事を見守る睡蓮。

雪で曲がってしまったけれどきれいに咲いた。ちょっと前の桃の花。
posted by 農夫見習いパパ at 13:26| Comment(0) | 菜園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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