2010年11月11日

木苺の赤

画像 044.jpg

今年の春、一株だけ植えたラズベリー(インディアンサマー)。
もともと熊苺が自生し、繁殖していた場所だったからか、もともと木苺というものは育て易いものなのかは定かではないけれど、初夏に成り、そして今秋果がたわわになっている。
甘さは程ほどなれど、香りよく、昔おばあちゃんが見せてくれたルビーの指輪ように深い色。
澄み切った雨上がりの秋空に、秋の光にきらきらときらめいている。
これが見られただけでなんだか得した気分。

そうそう、2年生になる長男がスクールバスの窓から見た二重の虹のことを日記に書いていた。

一株だけで、「たわわ」といっても知れた量しか採れない。
超限定だけれど、神音の定番ケーキのガトーショコラに数回彩られるかも知れない。

来年以降株を増やそうか、、こぼれ種で増えて広がるのを気長にまとうか。
、、でも交雑したらこんなに綺麗じゃ無くなってしまうだろうなぁ。。
posted by 農夫見習いパパ at 12:07| Comment(4) | 菜園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月06日

ひかりと記憶

夕焼.jpg

その日の空模様、気温、大気の状態、、そして受け取る側(それを見る側)の心境、コンディション。。

一つとして同じひかりは見られない筈なのに、
記憶の奥底にどんどん染み込んで、ある特定の感情を引き出そうとする景色に出会うことがある。

それは、なんの変哲も無い日常の一瞬。

タバコの煙が充満し、音楽が大きなボリュームでかかり、ざわざわと話し声が暖かく響くただの曇りの日かもしれないし、特別な人と眺めたどんよりした夜の海かもしれないし、どこかメランコリックな夕焼け色の静かな室内かもしれない。

それを特に記述したり、人に伝えるのは難しいけれど、明らかに心が動き出している。
それはもしかしたら夕焼けを見て、寂しそうにたたずむ犬も感じているかもしれないし、
ただぐうたらと寝ているように見える猫が壁に映るやさしい影に目を潜めているのかもしれない。

ただ、人間はそれを陳腐な言葉でスナップして、
ありきたりの一枚の平面に処理してしまう。

こういう神々の多次元的な仕業を感じさせるのは自然が一番得意とするところ。

あとは受けての人間次第。
posted by 農夫見習いパパ at 19:47| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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