2010年02月20日

蒸気圧

エスプレッソ.jpg

エスプレッソマシンは蒸気圧でコーヒーを抽出するものだが、自然の重力と浸透圧で抽出するドリップ式とは同じコーヒーを使っても随分違う風味になる。
御陵山ブレンドは焙煎度合としてはエスプレッソ向きではあるものの、ドリップでは出る筈の奥行きが今ひとつ納得できない。
加えて、修行時代に仕事で使わせていただいていた業務用のマシンはタンク容量も多く連続で作り続けても蒸気圧を一定に保てるようなハイクラスのものだったので、今所有している家庭用の延長のような小さなマシンでは良い味は出ないだろう、、と思い込んでいた。

バリスタチャンピオンシップにエントリーさせていただいた時も、当時の最高級クラスのマシンに触れる機会を得られたものの、当然使いこなせるわけも無く情けなく悔しい思いをした。(予選にかかりもせず。。)

とはいえ、そういう良い機会に長く触れられた事がいわゆる「感」を育ててくれたのは間違いない。

今所持しているマシンで、小規模の自家焙煎で表現できる最良のものに納得できるものに近づきたくて、ぽつりぽつりと試作を繰り返してきた。
そして、ようやく自分が考えるようなエスプレッソの味わいが出せるブレンドと粉の粒度(挽き目)に近づけて、いわゆる「神音のドリップコーヒー」に相対する「神音のエスプレッソ」をメニューに新しく加えた。


、、、しかしやっぱり機械は小さい。。処理能力が小さくて連続使用できず、スチーマーと併用すると数杯のオーダーで味が乱れてしまう。。
今日は土曜日でお客様が多い日だったが、カフェラッテにカプチーノ、エスプレッソ、、と連続して不安の残るサーブになってしまった。。

それでは、良い機械を導入しようじゃないか!
。。。というのが出来る経営者の姿かも知れないけれど、パンやケーキを焼くオーブンが小さいのにそれより先に(高価な)エスプレッソマシン??それより焙煎機じゃないのか!???
という「欲」がふくらみ過ぎて手に負えなくなる自分が目に見える。。

小さな焙煎機でこまめに焙煎。
作り置きなしのフレッシュなスイーツ。
丁寧に作って量産しないパン。

それらは神音の今までの「礎」でもある。

そしてなにより、エスプレッソのような濃厚なドリンクメニューは、クリーム分が高いようなリッチなケーキや薫り高いタブレットチョコなんかには良く合うものの、繊細でソフトな味わいには勝りすぎる。
そしてお恥ずかしながら自分でも混乱するのが、エスプレッソのテイスティングをするとドリップコーヒーがひたすら薄く感じてしまい、繊細な味わいを取り落としてしまう怖さが生まれる事である。

そんなわけで、せっかく登場したエスプレッソメニューだが、神音の基本を守って「隠れた味わい」にとどめ、あくまでドリップコーヒーを主役の座に、人に例えれば「長男の扱い」でねんごろに行きたいと思う。
もちろん「次男の可愛げ」エスプレッソも宜しくお願いしたい所だが。

同じコーヒーだが、ドリップとエスプレッソは似て非なるもの、また、コーヒーというものの「味わいの幅」を感じさせてくれる好対照とも感じる。

カプチーノ.jpg炭火遠景.jpg炭火.jpg

ストーブは華がある。洋風な美であるのに対して、囲炉裏の日はあくまで『和』。マキシマムに対するミニマムか。
しかし、くべる炭の形や燃え方で随分シャープでギラギラした表情をする事もある。夏の陽を直に仰ぎ見たような明るさは、ストーブに無いものがある。

posted by 農夫見習いパパ at 22:20| Comment(2) | メニュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月16日

モザイク

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もう春はすぐそこだと感じるのは、自分の希望的観測なんだろうけれど、、厳しい冬に微妙な名残惜しさも感じつつ、大活躍してくれている薪ストーブの燃料となる薪のストックが気になって、乾かしてある大ぶりなカットの木をくべやすいサイズにカットして作り足した。

きれいに積み上げるとモザイク模様みたいで、動きが感じられて美しい。ついでに木屑がたまり放題だったコンクリートの土間も掃き掃除。

画像 020.jpg

この一冬も暖かく、気持ちよくすごさせてくれてありがとう。
posted by 農夫見習いパパ at 22:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月11日

冬がさって

木々が芽吹いて、土の匂いが立ち上る。
季節で言えば「寒」くて当たり前なのだけど、この寒い山に住んで丸3年。今回の冬は暖冬だと思うし、重ね着などの防寒対策や、家の中の空気の流れ、薪ストーブの扱いが上達したおかげか、毎年冬にずうっと引きずっていたあの「風邪っぽい感じ」が殆どない。

体も強くなったのかもしれない。
時間の流れが根底から変わって、農業暦や月の暦のような根源的なリズムに少しづつ同化でき始めているのかもしれない。

子供が幼いという事から、早寝早起きが凄く重要だと実感させらているし、暗くなってからする作業に大した必要性を感じなくなった。

スローライフは決してゆっくりではない。
ただ、数ヶ月とか1年とか10年とか100年とか、
ロングスパンで物事を捉えて対応することが求められる。

目の前に現れるトラブルは自分由来か、自然由来。
だれのせいにも出来ないということがこれほど素晴らしいものだとは。

不自由は自由、不便が合理的。
そもそも答えなど無いはずなのに、何かを恐れて人は自分が今属する社会を外れまいとして、押し殺し、他人を責めて、結果としてバラバラに。
秒刻みに、1円単位で、分解してゆく。
ファーストライフから「刹那の美学」を除いたら、ただの自滅行為。

信念無き消費生活は崩壊するジェットコースターに乗るようなものであるのに対して、信念無くてでもそれとは別枠で循環を余儀なくされるのが本物のスローライフ。主導権は人(経済)ではなく、自然という事を知らない人は多い。

なんとかしてやろうと考えるから、なんとかされるのであって、
何も成さない事が、何をも成し遂げるというような「禅」のお話を最近別々のお客さんから聞いて、僕はなんだか誇らしい気がした。

自分では不自由とは思っていないものの、この土地での暮らしは今までの僕の暮らしで当たり前にしていた色んなことがぼちぼち出来なかったりする。
それでも、携帯電話がいい例で、無ければ無いで大した問題では無い。
そういう「余儀なくされる」感じ、否応ない制約が、誰のせいでもないことをはっきり明示してくれる現象が多くて、実にすがすがしい。

だから、自分の内面では不安定(に見える)政治や経済にわずらわしい思いをしないで、ただ目の前の作物や、薪木に向かい合えばいい。
そしてその向かう先は自然が決めてくれる。
posted by 農夫見習いパパ at 17:21| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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