2008年12月29日

ヴェルヴェティーン

何十年もかけて年輪を重ねた木が、鉄の刃で切り倒され、割られ、燃やされる。そのいのちの蓄積からすればほんの一瞬ともいえる僅かな時間に熱エネルギーと光と灰に変わってゆく。

薪ストーブの炎はうつくしい。

炉の温度が上がり酸素供給を絞った時、ガス化した木の成分が完全燃焼してゆく、ゆらめき立ちのぼる炎はまるで風に揺らめく天界のヴェルヴェット。薪から少し浮いた場所でオーロラのように漂い宙を舐める。

大きな窓のストーブにして本当に良かった。

そしてなにより暖かい。。
冷え込む日でもその前で数分佇めば体の芯が温まり、移動しても暖かさがついてくる。やわらかく力強い暖かさだ。

時間はかかるが広く天井が高い家の中心を確実に暖めている。

火の神か、火の精か、、
鉄とレンガとガラスに閉じ込められ、長い長い煙突に吸い上げられ、
神音の家に休む人間を暖めるために幽閉されている。
いや、、本来足元の地球の核にも精神の奥底にも、そして宙のかなたにも燃えさかる根源の炎を覗く窓なのかもしれない。



薪は見渡す限りこの山のあちこちを人の暮らしに沿った「里山」に還す作業から無限に生まれてくる。
雑木林と薪炭林の植生になるまでに何十年か、そしてその先も。
自然と寄り添う形を模索するにはなんとも好ましく、うつくしい道具。

昔は暖炉のようにして、囲炉裏や竈、風呂に薪をくべていた。
薪が燃える匂いは虫や害獣を離し、その煤は家の木材を強化する。

火をコントロールすることで猿から人へと変わっていったというが、
現代の暮らしから火は消えてしまった。

石油の炎と原子の力は人を賢くしたのだろうか?




あまりの心地よさに意識が遠のく程、夜更けのストーブの火の番は愉しい。
温まって、今年の仕事に切りをつけて、ほっくりと床につくと、永い夢を見た。。

女神を崇め、つき従う小さき卑しい自分が、やがて根源なる海に彼女を見送らねばならぬという。。
小さく卑しい自分の精神はその事実に耐えられず混乱する。
しかし、大きな意思に突き動かされ、その真意もわからぬまま、納得など到底出来ぬまま、別れる。

仕方がないのだ。。
その喪失感。
マゾヒスティックかもしれないけれど、
その感じが僕の心を潤わせ、根底から動かし続けている
posted by 農夫見習いパパ at 23:35| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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