2008年02月15日

やさしさ

雪が降っている。一晩で30cm積もり、早朝4時には市の除雪車が家の前をさらえていった。おかげで朝子供をスクールバス待合所のところまで送るのに往生しなくて済んだ。有り難い。。
ただし、家の前の広大なスペースと屋根雪が落ちた山をどけて車を発掘する仕事は必須。除雪車が玄関先に寄せていった重い雪の山のバリケードも取り除かなくてはいけない。ほんと、この程度の雪で済んでよかった。(まだどうなるかわからないけれど、、)日中の気温の上昇と日光でかなり溶けてくれたのと、せっせとからだを動かしたおかげで明日同じだけ積もっても困らないような気がするけれどどうだろう?

さて実は車を畑に落としてしまった。。
1週間程前、早朝に降ったみぞれが家の前から下る急な坂道をつるつるのスケートリンクのように仕上げてくれていた。
凍結する朝はその道をとおってはイケナイ。
日陰で急勾配、湿気があって、ガードレールが無い。
重〜い4WDのステップワゴンは氷上滑る鉄の箱と化して、ハンドルもエンジンブレーキも受け付けず滑らかに続く堤防のような法面をゆっくりと転がり落ちた。。一回転半。冬期で何も植えていないふかふかの畑に助けられ怪我は全くなし。
子供達はチャイルドシートごとぶらぶらぶら下がっていた。
30分でジャフが来てユニックで上手に上げてくれた。スバラシイプロの仕事。重機使い。自走出来たのでそのまま整備工場へ。。。

その数日後、今度は軽自動車が雪の下にあったぬかるみに沈んで動けなくなった。事故ではないけれど、4〜500キロもある鉄の塊は足掻けば足掻く程泥に沈んでゆく。。
居合わせた常連様にまで助けていただくも、微動だにせず。。
『大人の男数人で持ち上げて脱出させるしかないか??』と話しているとお母さん『ああ、今用事で居ないけどうちのお父さんなら一人で上げてくれるから、明日まで待って』と。
この状態の車を一人で??どうやるのかと不思議に思いながらも、お母さんがあまりに自信たっぷり、信頼たっぷりに言うので間違い無いだろう。
その日の夕刻遅くお父さんから電話『朝は忙しいから後で行くから』
夜9時半。しんしんと細かい雪が降る中、でっかいかけや(木槌)とでっかい木杭、ロープと引き上げる道具(名前を知らない)を携えてお父さん登場。

てきぱきと畦に杭を打ちワイヤーとその巻き上げ機とロープをセットして車の後輪の車軸に結わえるとギコギコ巻き上げ機を動かすと何と!ジリジリと動く!!!
、、が車の重さに耐えられず相当深く打ち込まれた杭も抜けてしまった、、

めげる事無く、今度は20m離れた大きな木にロープを継いでいって結わえて再チャレンジ。
お父さんが巻き上げ機を動かしてゆくと嘘みたいに素直に車が上がってゆく、、、
小1時間。じっくり落ち着いてダメでも対策をすぐに立ててテキパキと動くその姿はほんとうに頼もしい。160センチでやせ形のほんとうに小柄な70歳のお父さんはほんとうに大きなお父さんだ。。

そしてとうとう一人で上げてしまった。
杭を打ち込む時に少し手伝ったものの、重い木槌を上手く扱えず要領を得ない、、ただ懐中電灯をもってつっ立てる木偶の棒のような僕が居た。

聞けば、軽トラを落としたり、トラクターを落としたりした経験から一人で対処できる術を身につけたという。『人に頼ればいいんだろうけどなぁ、、』と言いながらも、何ごとにもじっくり立ち向かうその姿にはほんとうに学ぶ所が大きい。


そして昨日。事故以来町内の細い道も全て徐行でそろそろと運転していたにも関わらず、急カーブで道幅の狭い場所でタイヤを取られてガードレールに擦ってしまった、、、、
ステップワゴンは修理より買い替えた方が安くなるというくらいの大破、軽自動車の凹みも2カ所。お金がいくらあっても足りない。。。


『何ごとも経験』『授業料だと思って』なんて言われつつも、どんよりと凹むここ最近。怪我が無い事はほんとうに幸い。滑った時の対処法を色々な人が教えてくれる。さっきもそろそろ走りながら復習して現場練習。

もともと車の運転は苦手。事故の経験もあるけれど、この町内での自然相手の事故はどうも後口が悪く無い。変な言い方だけれど、、
お父さんが教えてくれた様に、自己責任がとっても明確で、だれをもなにをも怨めないという状況、人間のエゴで動かす「機械」のひとつである「車」。

そんな当たり前だけどいつのまにか生活に密着し過ぎて感情の一部みたいになっていた事。自然がまずありき、道路を整備しない行政を恨んだり、他のドライバーや道路条件を恨むのは筋違いであるという、
当たり前の事を教わった。
それも自然のやさしさ、お父さんのやさしさ、底なしの懐のひろさだろう。

、、はぁ、、情けない。。
でも子供が無事で良かった。。。

保育園で一生懸命「くるまがごろーんっておちてん」とせんせいやおともだちに宣伝してくれている。
怖い思いをさせて申し訳なかった。。。

posted by 農夫見習いパパ at 15:41| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月07日

民具

玄関の戸は3重になっている。外屋といい、外気を空間で調整する賢い仕組みだ。
昔読んだ「注文の多い料理店」を思い出す。そういえば、神音カフェも今の御時世にしては「注文が多い」ような気がする(苦笑)。。

ところが外側のアルミ格子戸と部屋の戸の間の、上がり框の戸が無かった。引っ越し当時(去年の今頃)はじいちゃんばあちゃんが住んでいたままの状態で、入り口の部屋(多分昔は土間だった)の戸は気密性のいいアルミサッシに変えられていた。が、お店にするにはあまりにも不粋だという事で、サッシを外して他の部屋の木製の戸を代わりに当てた。

アルミ戸を4枚減らして住居スペースの分をあてがっても厨房スペースなどカフェ用の間取りにするにはかえって都合が良かったし、雰囲気がぐっとよくなった。
が、その上がり框の前の戸は他の戸よりも丈が長く、代用がきかない。。家の中や納屋を探しても見当たらない、、
ガラスが割れたり痛んだくらいで昔の人は家の部品を処分したりはしない。直せば使えるのだし、どこかに在るはずだとは思っていたが、1年越しでとうとう探し当てる事が出来た。

なんと、米蔵の奥。

米蔵は現在もお父さんの米が入っている。お父さんはこまめに空気を入れ替えながらも米を出したり漬け物桶を前室に運び込んだりいつも出入りしているので気が付きそうなものだが、灯台元暗し。
実際蔵に灯りがないのでお父さんはヘッドライトをつけては入っている。
この前何かの用事でお母さんと蔵に入った時に発見。

それで、お父さんと話しながら戸を取り出していると、これも引っ越し当時頑張って探していて結局見つからず自分で製作するに至ってしまった『炉縁(床縁)』いわゆる、いろりの枠も2種類発見!

何故2種類か?というと、ひとつはこたつ用の格子の付いた台が固定出来る作りになったものと、通常のシンプルな枠と。

他にも昔外屋を改装した時に外したと思われる窓枠などまさに
『お宝蔵出し』状態。
只眠らせて朽ちさせてゆくよりはと、木桶等他にも使えそうなものも出しておいた。
お母さん曰く、「使わない戸は、マメや麦や米なんかの手作業で散らばる作業の脱穀の時などに『囲い』として使ってた」そうだ。
米蔵に置いてあったのもうなずける。

こうしたいわゆる民具というものは昔ながらの職人の確かな技と、長く使えるという耐久性を備えていて、戸大工さんの仕事としても今ではとても高価になってしまうような丁寧なつくりのモノが多い。

綺麗に拭いて暫く使えばまた艶を取り戻して実用によし、気持ちを満たしてくれてなお心地よい。



モノの価値の定義は様々だろうと思うが、
『用の美』という、使われるもの、使い続けられるもの、すなわち長期的に見てシンプルで使い易く人に馴染む。そこに美しさが在るというのは確かだろう。

目の前から「使いにくい」という偏見とステレオタイプと経済の旨い罠(現代的、経済的とかなんとかいう文言)で次々とつまらない工業製品にとって変わられ姿をけしてゆく『民具』たち、、

また骨董ばかりに価値があるのではない。「お宝鑑定団」や「劇的ビフオアアフター」「お宅訪問」、そして伝統工芸なる中途半端な芸術主義が生活の中の工芸を追放し、価値を知らない中古品業者やオーダーメイドのフリをした企画商品を見抜けない消費者によって微妙で貴重な立ち位置だった『場所と人に反応する有機的な価値観』の総体が切り捨てられてしまったのかもしれない。

「そのひと、その場所、その暮らし方に用を足す」民具。
モノの価値は限り無く個別の生活に密着しているにも関わらず、
判断と感性を鈍らせる情報と経済にまんまと毒されて、それでも人と違う不安に弱い日本人は現代のジャンク企画品が大好きである。

奇しくもカード会社のCMのキャッチフレーズに「その価値、プライスレス」なんてのがあった。プライスレスに囲まれる暮らしは最上だろう。



木桶の竹製の『たが』を絞める職人、戸大工さんに、大工さん、左官屋さんに、金物屋。。。これらの職業のそのままの復興は無理にせよ、現代的な感性をもちつつ、能登の昔ながらの暮らしを伝える民具をリペアして生活に戻してゆくような職人で商人さん(もしくは技術の高い作家さん)がこの地区に入ってくれれば、その価値を朽ちさせることなく伝えられるのになぁ、、と心から思う。
posted by 農夫見習いパパ at 09:43| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月04日

我の緩慢なる崩壊と再生

とても長い一日だった。
しかし、もっと長くてもいいと思えた。
集まった方々は年齢も属する場所も実に様々、「神音ゼミ」と銘うって『ヒトゴトヲジブンゴトニ』をテーマにそれぞれ思いつくままに話し、問いかけ、交流した。
主催の川口氏がパーソナリティとなり、まるでラジヲの進行のように合間に素晴らしい音楽を挿みながらの、とても滑らかで心地よい時間だった。

僕といえば22名の食事と絶えまなくコーヒーを抽出する事に完全に手が塞がっていたにも関わらず、この場所の、この家の、この屋根の下にいるもはやかりそめの家族と化した集団の一部として全てを共有出来たような錯角を覚えていた。

残念ながら、個人個人と向き合ってゆっくりお話することはさすがに出来なかったけれど、また機会があるはずだ。


とてもハイセンスとは言えない『我々プロジェクト(ワレワレプロジェクト)』というネーミングのこの活動のスタート地点であり、一部として開催された今回のゼミだが、『我』がありき、そして『我々』という言葉には確かに真直ぐな指向性がある。

インターネットの普及が爆発的に進み、プライベートも仕事も『個』と『集合体』との線引きが曖昧になる程、現代の生活に浸透してきた。情報量は膨大になり、あらゆる立ち場の人間が対等に存在できる電脳空間が生まれた。
それ自体悪い事ではないと思うし、予想を上回るだろう可能性の拡大を感じずにいられない。

、、が、それらがあらゆるカタチをとって現実の世界に浸透し侵食し、破壊し再構築している中で育ってきた経済と流通という名の魔物が、ショッピングモールやワイドショーを例にあげるまでもなく、明らかに『我』の崩壊を助長もしてもいる。


『ワレ』


日本の未来、
ワタシの未来、
そして、こどもたちの未来。

そこかしこに在る全ての現実は自分に集約してくる。
今を全力で生きられない人間は、、むなしい。。


コントロールを失ったものは立ち返れ、
自分が立っているその場所は、どこだろうとかまわない。
『どう思い、どう感じたか』
表現する方法は、どうだろうとかまわない。
直接的に関わっている社会に対して、自分はどういう距離を保つのか?

それらはまるで共同体のようなフリをして巻き込んでくる。
しかし、間違えてはいけない。
僕と、あなたと、会社と、未来はすべて別であり、
そのつど都合良く乗り換えられるモノでは無い。

他人事に一喜一憂している暇があれば、今すぐその距離を計測せよ。
驚く程隣接していて、嘲笑われているのは自分だと気がつくだろう。


『我』の再構築は、『生きる力』を取り戻す事。
そして『我』の集合体である『我々』は、人間がいきいきと暮らす社会を形成する。
自体が迷える人格のような魔性を抱えて脈動している地域や会社組織や都市を構成しているのは他ならぬ自分。
であれば、『我』を再構築してゆくその過程自体が自立的であり、個々が尊重される社会へとつながってゆく。


そう考えると『我々』を取り戻すプロジェクト。
とてもいい。
posted by 農夫見習いパパ at 01:43| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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